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ゴッホとマーラー [芸術]


ハーディングのマーラー5番の効き目はさすがで、あれ以来コンサートに
行く必要性を感じていません。
ダニエル・ハーディング率いるロンドン交響楽団によるマーラー5番につ
いての記事をもう少し。「これはモーツアルトの対極だった。弱音の際で
はなく、強音の限界を狙う。大管弦楽器をぎりぎりまで解放し、ゴッホの
油絵のように、絵の具をコテコテに盛り上げる。すさまじい音量とまばゆ
い音色が溢れかえる。まるで野獣の饗宴だ。」(片山杜秀・評論家)
ゴッホの筆致のうねるような勢い、無秩序に見える画面の奥に感じられる
構成の確かさ、荒々しいのに観る者を暖かく包むような色彩、なるほどマ
ーラーの狂気(?)と通じるものがあるかも知れない。正確にはハーディン
グが再現したマーラーの世界ということになるか。
そう思って改めてゴッホを観る。私の一番好きな作品は「星月夜」。
(無謀にもこれをステンドグラスにしようと何度か試みた事があります。)
しかし実際にはゴッホは絵の具をごてごて塗っているわけではなく意外と
薄塗りだそうです。こてこてに見えるのもゴッホの才能ならではです。
ゴッホの人となりと彼の作品について、
「ゴッホの絵画を居間の壁に掛けているのは大きな誇りだろう。しかし、
ゴッホその人を居間に座らせるはめになったら、こりゃもう、考えただけ
でえらいこったよ!」
本当にうまいことを言う、と非常に感心した言葉ですが、これを言ったの
は「第五福竜丸」を連作で描いた画家ベン・シャーンです。
いろいろな符号があるものです。

*写真はゴッホ作「星月夜」。「夜のカフェ」や「ローヌ川の星月夜」
などゴッホの描く夜景は青と黄色が夢のように効果的に使われています。
マーラー5番はやはり「星月夜」でしょう。天体観測をしたとき頭に鳴り
響いたのもマーラー5番でした。


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herosia

ゴッホはいろいろな想いがあったのだけれど、数年前からは彼の狂気に親しみ?を感じてしまい、それから自画像が一番好きになってしまった。ゴッホの前では音楽はきこえない。もっと強烈な音楽以前の波動なら感じるな。狂気と親しくなった頃、武満徹の弦楽がいつも流れていた。ゴッホと組み合わせるならそれかな。星を見るときはドビュッシー。アラベスクがチープなフランソワの音と冨田勲のアナログシンセを行ったり来たりする。これは幸福な瞬間でありますね。マーラーって感覚ではとても古い時代の音楽なんだ。後期ロマン派。こういう言葉に囚われていては物事を正しく見ることはできないのでしょうな。End of Romanticism
by herosia (2007-05-05 21:17) 

ゆき

実を言うと私もゴッホの前では音楽は聞こえません。ゴッホの存在感はあまりに大きいのでそれだけで十分なのです。
夜空を長いこと眺めていた時に頭の中に聞こえてきたのがマーラー5番だったので、この評論記事から、ゴッホの「星月夜」を結びつけました。記事を書いた片山さんという人はマーラーとゴッホに共通する「狂気の一歩手前の世界」について言いたかったのかな。マーラー5番は2番や9番が表す哀しさや苦しみはなく、突き抜けていますね。それが天空を思わせるのかもしれません。
音楽と絵画は同じ重みを持っているので、同時にはとても鑑賞できるものじゃありませんよね。パンクしてしまいます。
by ゆき (2007-05-05 22:05) 

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