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レーウェンフックの顕微鏡 [読書]


(アムステルダムの骨董店、ウィンドーで番をしているのは本物の猫)

「微生物の狩人」(ポール・ド・クライフ著、秋元寿恵夫訳、岩波文庫)を読んでいる。最初に出てくるのが、微生物学の祖アントニー・ファン・レーウェンフック。350年も前の話で、ポール・ド・クライフがこの本を書いたのももう80年も前のことだが、こんなに面白い伝記本はめったにない。1930年頃、アメリカでベストセラーになったそうだが、著者の人物描写はまるで実際にその人を見るようであり、書かれた人物の生涯には度肝を抜かれる。レーウェンフックは1632年オランダに生まれ、世界で初めて『チーズにわく蛆虫』よりも小さい生物の世界を覗いた人。名誉だの名声などには無関心でひたすら湧き出でる好奇心につき動かされたレーウェンフックの90年の人生ときたら・・!!

「科学者」なんてものがまだ存在していなかった頃に、科学を志す人達が少しずつ現れた。そして「目に見えない大学」を創った。英国王立協会の始まりだった。なぜ「目に見えない大学」にしたかって、そりゃ当時は、変なこと(真実)を言うと謀反人だの異教徒だのにされ火あぶりになるかも知れないからです。彼らは「もうこれからはアリストテレスやローマ法王の言ったことは無視しようぜ。」と言ってたらしい。すごい話です。

さて、レーウェンフックは織物業の修行の後、織物店を経営しながら、ガラスを磨いて直径0.5mmに満たないレンズをたくさん作り、小さな世界を覗き続けた。もちろん、近所の人からは「頭のおかしな人」と見られ無礼な態度を取られるのだが、レーウェンフックは一向に気にかけなかった。「連中は何も知っていないのだから大目に見てやらねばなるまい・・」と。この言葉の真理には思わず笑ってしまいます。

レーウェンフックに比べれば確かに他の人間はノミやシラミや蛆虫以下の生物のことを知らないのだから、無知そのものだ。
我々は教育を受けているからえらそうに笑ってもいられるけど、学校で教えてもらわなかったら、目に見えない存在のことなど誰が考えるだろう。
ガラスを通すと物が大きく見えるからといって、自分で精巧なガラスを作って小さな世界を見よう、なんて普通の人間は考えない。そういうガラス玉を自分で作れるとは到底想像できない。ところがレーウェンフックはガラスを磨いた。毎日、毎日、何十年も・・。そして毎日レンズを覗いて新世界を発見し、たまにはサービスして近所の人にも見せてやったりもした。

とうとう彼が40才を過ぎた頃に、レーウェンフックのガラス玉のことが世間に知られるようになった。英国王立協会(正式に学会として認められるようになり、ボイルやニュートンがいた)が、レーウェンフックに報告書を出してくれるように頼んだ。レーウェンフックは学術書に使われるラテン語を知らなかったので、オランダ語で、史上もっとも大切な発見について、自分の日常のこまごましたことや近所のうわさ話と混ぜて書いて送り続けたそうだ。

科学者と芸術家は、わき目もふらず生涯を一つのことのみに注ぐ情熱と姿勢によって大変良く似ているものだと思う。この頃のオランダにはすでにレンブラントが活躍していて、レーウェンフックと同じ年にフェルメールが生まれ、フェルメールの死後の遺産管財人がレーウェンフックだったそうだ。
全くすごい時代です。
レーウェンフックの顕微鏡


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solea01

この時代は職人芸がまだ夢の実現につながる時代。生産力が上がって、科学が発達して、いろいろなことがわかって・・・。本当に私たちは幸せになっているのか?そう思えてくることも多いな。
by solea01 (2008-01-22 21:14) 

ゆき

このレーウェンフックの後は科学ラッシュみたいな時代になって新たなことを発見する熾烈な競争が、だんだん始まるみたいです。この時代から見れば人類ははるかに物を知っているわけですが、決して幸福になれたわけではありませんね。
by ゆき (2008-01-23 19:51) 

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