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「微生物の狩人」スパランツァーニ [読書]


(オランダの実験器具の骨董店のウィンドー  マグデブルグ半球 )
「微生物の狩人」の続きの話。
レーウェンフックはひたすら自分の楽しみのために顕微鏡を作った。彼の名はニュートンやフックと並んでヨーロッパに知れ渡ったが、あいかわらずたった一人でひたすら研究を続けた。あの哲学者、数学者として有名なライプニッツに宛て「私は誰一人教えたことがない。一人に教えれば次々と教えなければならなくなる。・・(教師になれば)私は一個の奴隷に成り下がってしまわねばならぬ。私は自由人でありたいのである。」と手紙を書いた。
ライプニッツは「もしあなたが弟子を育てなければあなたの技術も消滅してしまうではありませんか。」 それに対してレーウェンフックはふんという感じで、「ライデン大学の教授がレンズ磨きを雇って学生に教えようとしたが、結局学問の切り売りをやっただけじゃないか。・・こうした学問をやってのけられる人間は千人に一人もいないだろう。これは、無限の時間と、多くの金とが必要だし、絶えず考えに追い回されねばならないのだ。」と答えたのだ。
これ、学問や芸術の世界の本質です。

90才で亡くなった彼の後を継いだのは、彼の死後6年して生まれたスパランツァーニだった。スパランツァーニはレーウェンフック同様、微生物の世界の虜となるのだが、彼もまた頑固で、自説さえも容易には信じようとしないところがあり、狂ったように実験をした人だ。微生物が一体どこから生まれるのか、が大きな問題だった。
今の時代だってわからないままの問題だ。当時イギリスのニーダムの「小生物は羊の肉汁から生まれる」という説が有力となり、スパランツァーニはこの説を覆すべく、狂ったように実験を重ねて証明していった。二人の論争はアカデミーのお歴々の間のみならず、街々の注目を集め、至る所で話題にされた。スパランツァーニの実験室はフラスコでギッシリ埋まっていた。結局スパランツァーニの名が、全ヨーロッパの大学を震撼させたという。
生涯、科学事実に関して告訴だの、反撃だのを繰り返したが、単なる対抗心や名誉欲でなかく、あくまでも真実を探求したのであって、スパランツァーニはスイス人のド・ソシュールの実験を賛美し、これからも協力し合おうと誓い合った。
これについて著者ポール・ド・クライフは「彼らは戦争を誰よりも憎悪する人々だった。・・世界の最初の市民であり、最初の正真正銘の国際人であった。」と述べている。1700年代のことだ。
いつの世も、世界は真実を見ようとしない人にあふれていて、レーウェンフックやスパランツァーニのような人はむしろ狂人に見えてしまうだろう。

面白そうなものがいっぱい


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コメント 4

齊藤

こんにちは。その本、示唆するところが多くて面白そうですね。自分もそのうち読んでみようと思います。追従しないうちにぐるりとまわって市民、国際人であるというところがふるっていますね。
by 齊藤 (2008-01-26 17:26) 

ゆき

「微生物の狩人」はすごくワクワクする本ですよ。
著者、書かれている人物、訳者がすごい。斉藤さんもきっと魅了されると思います。
by ゆき (2008-01-26 21:05) 

herosia

岩波文庫ならではの名著ですね。子供の頃から今も顕微鏡には親しんでおりますが、微生物にはなかなかお目にかかれないものです。特に培養系は私は本当に下手くそで、いつも再現性が全くないのでした。彼の手並みには本当に舌を巻きます。
by herosia (2008-01-26 21:21) 

ゆき

まだ上巻なので、これから下巻を読む楽しみもあります。
これを読んでいたら顕微鏡が欲しくなりました。
それにしてもオランダという国は、顕微鏡も望遠鏡もすごかったのですね。
by ゆき (2008-01-26 22:27) 

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