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イタリアへの旅(4)〜誇り高きコントラーダ〜 [旅行記]

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シエナの街の中心カンポ広場で毎年7月8月に開かれるパリオは、シエナの人々にとって熱狂的な行事で、コントラーダ(地区の単位)同士が激しく競い合う。現在は17のコントラーダがあり(この数は歴史とともに変遷)、このうち10のコントラーダの代表が裸馬に乗ってカンポ広場を三周する。
13世紀始めにはもうパリオはあったらしい。中世都市には不和の種子が満ちていて貴族、平民、下層民、隣組同士、大ギルド小ギルドと、など対立やいがみあいがたえず、パリオによって敵愾心を昇華したものだという。(『シエナ』ー池上俊一著から)
池上氏は「彼ら(コントラーダ住民)にとっては、シエナ市民、イタリア人、ましてやヨーロッパ人などというのは、二の次,三の次」と書いている。
今年のパリオが終わった翌日から次年度のパリオに向けての競争が始まると言われるほど、コントラーダにとって重要なお祭りなのだ。

私が行ったのはパリオが終わって数日経っていたが、まだお祭りは続いていた。
コントラーダ(地区の単位)の鼓笛隊がそれぞれ自分たちの色の衣装をまとい街中を太鼓を鳴らし、旗を振り上げながら行進していた。まだ幼い子供から立派な青年まで、真剣におごそかに行進をしている姿に目を奪われた。自分のコントラーダを誇りに思っている様子が伝わってきて、こういう「誇り」とは無縁の日本の私には不思議な光景だった。

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夜になると、ある通りの真ん中にずらりと長テーブルが並べられ、さながらパーティ会場のよう。これは今年の優勝の地区で、長テーブルにはご馳走が並べられていた。通り一本がそうなるのだからたいしたものだ。家々はコントラーダの旗をかかげ、人々はコントラーダのスカーフを首にまき、テーブルの回りに座り、祝杯を上げていた。

もちろんパリオ当日は大変な騒ぎになるため、うんざりという人もいるようで、泊まったホテルのフロントの女性も「パリオは嫌い。どうしようもない騒ぎになるから。」と言っていた。
パリオ当日はほんの1分数十秒の馬の競走を見るために、朝早くから広場に市民、観光客が詰めかけ、運良く広場に入れたとしても身動きできないそうだから、人混みの苦手な私には見物はできなそうにない。
毎年パリオの時期になると他の市で「パリオは動物虐待だ」と反対のプラカードも上がるそうだ。

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(ここから先は聖なる祝宴、ちょっと入れない雰囲気でした。)

さてカンポ広場は赤みを帯びた独特の色をした煉瓦が敷き詰められていて、これは「シエナの土色」と呼ばれるそうだ。広場だけでなく、回りの建物にもこの「シエナの土色」が使われている。カンポ広場の前の市庁舎もこの色だった。
DSCN0563.jpgシエナの土色

ほんの少し離れたところにあるゴシック建築の豪華な大聖堂ドゥオーモは、見事な白と黒の大理石の横縞模様で、シエナ色の街の中でとても目を惹く。
DSCN0578.jpg大聖堂ドゥオーモ
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