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映画「三本木農業高校、馬術部」 [映画]

「視力を失いつつある馬と少女の物語」と聞けばおおよそストーリィも想像できるし、感動する場面も予想できてしまう。それでもやはり見に行かなきゃ、と思って終了日にやっと間に合って観ました。とても真面目な映画で、話の展開も予想通りの素直さ。それでもなかなか良い映画でした。

「のんびり楽な気持ちで観ることができる」「楽しい」「風景がきれい」「心が温かくなる」これが私が好きな(と言うより観ることができる)映画の条件です。毎日、いろいろなことに感情が揺れたり疲弊したりしているので、これ以上よけいな強い刺激を映画で受けたくない方です。

「三本木農業高校馬術部」は、とても楽な気持ちで観ることができました。大好きな馬が出てくるのでそれだけでも楽しめました。実話に基づいているというのがすごいです。
高校生生活、というのがちょっと私の年で共感できるかな、と心配でしたが、出てくる高校生はみな自然な演技で好感が持てほっとしました。主人公の菊池香苗役の長渕文音さんの、ごく普通の高校生のかわいい娘さん、という雰囲気、演技がこの映画の好印象を深めていたと感じました。

骨折した馬が処分されることになり、それに抗議する部員を馬術部顧問の先生(柳葉敏郎)が『馬はペットでねえ!』と叱るシーンは身につまされます。私自身馬や牛や豚などの家畜動物に対するとき、いつも気になってしまうのがペット動物との違い。ペットとして飼われる動物と食料や人間の道具に使われる動物がいるというのは不可解な状況です。。どうしようもなくて、ひたすら哀しい。
なぜ人間の食料になったり人間の都合で処分されてしまう動物が、人間とコミュニケーションを持ててしまうのか。ライオンはシマウマにとっては常に天敵で、仲良くなったりはしないはず。
人間だけが動物とコミュニケーションを持ってしまう・・全くの不条理です。
「経済動物」、この言葉の前にはなすすべがない感じがします。

いっときだけのコミュニケーション・・。動物との交流の不思議さ。
生と死を感傷ぬきで考えたり、哲学したりする人も、自分が飼っている動物に対してはメロメロで、愛情をたっぷりそそぎ、その動物の「生」にたいしてはげしく執着を持ったりしているのも、動物と人間の関係のどうにもならない不平等さに起因しているのかもしれません。

映画の主人公の馬コスモ(タカラコスモ)は、今も青森県三本木農業高校で馬術部員に見守られて生きているそうです。会いに行ってみたいなあ。でもよく考えれば「物語のモデルになった馬を見たい」などという感情は、無意味で自己満足的心のかたまりみたいなものなのですが。
「三本木農業高校」をネット検索したら、『馬場の様子』という項目があったので、開いてみたら「工事中です!!申し訳ございません」とありました。
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