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《イーピン光線》〜山内ケンジ作・演出 [芸術]

<E-Pin企画10周年記念公演 + 城山羊の会>山内ケンジ作・演出
2010/02/14 下北沢・駅前劇場

悪夢と現実の重なり合いが、山内ケンジ劇の特徴。
どこからどこまでが現実でどこからが夢なのか、それと気付かぬうちに観客は二つの世界に連れて行かれさまよっている。ふと「あ、これは夢でしょう」と気がついたりする。
それにしても近頃は現実と悪夢の境目がはっきりしない世相だ。こんなこともあり得るだろうという思うことが多いから怖い。しかも現実の方が悪夢より怖いということもある。夢はさめればやれやれだが、これが覚めない現実となると・・?
こんなことを考え、いつも寒々とした気分になる。

芝居と現実の境目もかぎりなく近くなっているのが現在社会という気もする。人が普通に送っている生活がなんだか芝居じみている。山内劇を観ているとそのことを強く感じる。劇場に座っていることからしてそれは日常生活ではなく意図的に自分が作った状況(つまり芝居っぽい)なのだが、開演前に回りの客席から聞こえる会話が、芝居じみて聞こえて苦痛になったりする。この日も後ろから聞こえる若い女性の、鼻にかかったゆっくり語尾を伸ばす話し声になぜか心を鬱いだ。現代人は話し方さえテレビだかなんだかの影響を受けているのかと。

劇の始まり・・登場人物の一人に携帯電話がかかってきて電話で話をすると、その場にいるみんながなんとなくバッグの中を探って、それぞれ自分の携帯を見る場面があった。これは、まぎれもない現代病。現代人はしょっちゅう携帯を確認している。こういうところが山内ケンジのすごさだ。芝居の中に見たくない現実が現れてくるからイヤになってしまう。劇中の至る所に風刺が利いていて、最初はみな面白がってハハハと無邪気に声を上げて笑っているが、そのうち疲れてくる。救いのないストーリィに疲れてしまう。

劇が終わったときまず人がやることは携帯電話を確認することだった。あっちでもこっちでもみんな座席で携帯を見ていた。開演前に携帯の電源を切っているから、オンにしたのだろうと思うが、何も劇が終わってすぐに電源を入れたりメールを見たりすることもないだろう。終わったとたん、というのが何とも言いようがない。

山内劇を見終わったあとは、厳しい現実にダメ押しされた感じが強まる。
では、見終わって幸せな気分になる劇というのは可能なのだろうか。とてもむずかしいのではないか。いっとき、バラ色気分を味わっても劇場から離れれば厳しい現実に向き合うことになり、バラ色は簡単に灰色に変わるだろう。しばらく幸せ気分が続くならまだしも、1分と持たないとしたら何の意味もない。終演後にぱっと携帯電話を取り出す観客の変わり身の速さは救いようがない。
だとしたら、絶望のまま、突き落としておくほうが人のため。
現実をより客観的に見るために劇というものがあるのかもしれない。若い人は見た方がいい。
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