ビルギット・ラムスル [音楽]
パユの2回のコンサートを聴いた翌日、
12月3日(土)に<ムラマツ・フルート・フェア 特別演奏会>に行った。ここのところのコンサートへの足の運びようの多さは尋常ではなく、自分でもどうかしていると思ったが、私が日程を決めるわけではないので仕方がない。
(10,11,12月はコンサート目白押しの月なのです。)
かなりの疲労感を覚えながらも修行僧のようにコンサートに出向く。
この日の大きな目的は、ビルギット・ラムスルを聴くことだった。
私は多分ビルギットの一番古いファンだと自負している。
出会いはなんと2002年のこと。(今から15年前だ。)
フルートの練習がちょうど面白くなってきた頃、イタリアのシエナのキジアーナ音楽院のフルート夏期講習を聴講しに行った。はるばるイタリアまで!!
講師がエマニュエル・パユだったためもある。
キジアーナ音楽院のすぐ近くに宿を取り、4日間くらい聴講に通った。
そこでいろいろな国のいろいろな人のレッスンを見物した。
その中にビルギットがいた。
初々しくて可愛い人だったがずばぬけて上手かった。この女性はいずれ世界デビューをするのだろうな、とそのとき思った。
言葉を交わしたり、記念にノートに名前を書いてもらったりした。
その翌年2003年、
ピエール・ブーレーズが、各国の才能あふれる若手演奏家からなる『グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ』を率いて日本にやって来た。
曲は「マーラーの交響曲6番」。
チケットを買った。なんだかこのメンバーの中に、イタリアで会った女の子、ビルギットがいるに違いない、という気がした。
予測は見事的中!彼女がいた!!
このときの「マーラー交響曲第6番」の印象は鮮烈だった。
大巨匠ピエール・ブーレーズが指揮する150人?もの若き俊英達による演奏の、パワー、緊張感、美しさは圧倒的で打ちのめされた。
(それ以来マーラーファンに・・。)
前半のベルクとウェーベルンが終わり、休憩で団員が楽屋にひきあげるとき、ビルギットはみんなの後ろからとてもゆっくりと歩いていくので、客席から名前を呼んだ。すぐに私たちを見つけ、とても喜んでくれた。
コンサート終了後に楽屋口でまたちょっと言葉を交わすことができた。
ビルギットはウィーン国立音楽大学でシュルツ、ハーゼに演奏と教育学を学び、さらにミュンヘン音楽・芸術大学でアドリアンに師事。この在学中にグスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団に首席フルート奏者として2度参加したのだそうだ。(プログラムノートより)2004年 ウィーン音楽大学在学中に、ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団の首席フルート奏者として契約し活躍している。
ウィーン音楽大学のキャンパスをトリップさんが案内してくれたことがあったっけどちょうどその頃ビルギットは大学生だったのか。
今はビルギットはそこで教授になって・・時の流れのはやさと不思議さ。
さて、おなじみのオペラシティリサイタルホールで、間近で聴いたビルギットの演奏。
素晴らしい音色で、力強く、ダイナミック、聴衆を魅了する音楽・・!!
何もかも完璧で、虚脱した。
ビルギット・ラムスルはもう巨匠になってしまったんだな〜
15年前にパユのレッスンを受けていた可愛いビルギット。
そのときのパユとビルギットの演奏を一週間の間に聴けるとは、
まったく「奇跡の一週間」だったと言える。
ビルギットにはネットを駆使して感想を伝えることができ、彼女はとても喜んでくれた。(ちゃんとお返事をもらえた)
趣味で習っているフルートには一本の道があり、その道の先にはすごいフルーティストがたくさんいるような気がしていたけれど、
実は、私が歩いている道の先には、ああいう人たちはいないのだとわかった日だった。
キジアーナ音楽院で。 パユとビルギット
12月3日(土)に<ムラマツ・フルート・フェア 特別演奏会>に行った。ここのところのコンサートへの足の運びようの多さは尋常ではなく、自分でもどうかしていると思ったが、私が日程を決めるわけではないので仕方がない。
(10,11,12月はコンサート目白押しの月なのです。)
かなりの疲労感を覚えながらも修行僧のようにコンサートに出向く。
この日の大きな目的は、ビルギット・ラムスルを聴くことだった。
私は多分ビルギットの一番古いファンだと自負している。
出会いはなんと2002年のこと。(今から15年前だ。)
フルートの練習がちょうど面白くなってきた頃、イタリアのシエナのキジアーナ音楽院のフルート夏期講習を聴講しに行った。はるばるイタリアまで!!
講師がエマニュエル・パユだったためもある。
キジアーナ音楽院のすぐ近くに宿を取り、4日間くらい聴講に通った。
そこでいろいろな国のいろいろな人のレッスンを見物した。
その中にビルギットがいた。
初々しくて可愛い人だったがずばぬけて上手かった。この女性はいずれ世界デビューをするのだろうな、とそのとき思った。
言葉を交わしたり、記念にノートに名前を書いてもらったりした。
その翌年2003年、
ピエール・ブーレーズが、各国の才能あふれる若手演奏家からなる『グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ』を率いて日本にやって来た。
曲は「マーラーの交響曲6番」。
チケットを買った。なんだかこのメンバーの中に、イタリアで会った女の子、ビルギットがいるに違いない、という気がした。
予測は見事的中!彼女がいた!!
このときの「マーラー交響曲第6番」の印象は鮮烈だった。
大巨匠ピエール・ブーレーズが指揮する150人?もの若き俊英達による演奏の、パワー、緊張感、美しさは圧倒的で打ちのめされた。
(それ以来マーラーファンに・・。)
前半のベルクとウェーベルンが終わり、休憩で団員が楽屋にひきあげるとき、ビルギットはみんなの後ろからとてもゆっくりと歩いていくので、客席から名前を呼んだ。すぐに私たちを見つけ、とても喜んでくれた。
コンサート終了後に楽屋口でまたちょっと言葉を交わすことができた。
ビルギットはウィーン国立音楽大学でシュルツ、ハーゼに演奏と教育学を学び、さらにミュンヘン音楽・芸術大学でアドリアンに師事。この在学中にグスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団に首席フルート奏者として2度参加したのだそうだ。(プログラムノートより)2004年 ウィーン音楽大学在学中に、ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団の首席フルート奏者として契約し活躍している。
ウィーン音楽大学のキャンパスをトリップさんが案内してくれたことがあったっけどちょうどその頃ビルギットは大学生だったのか。
今はビルギットはそこで教授になって・・時の流れのはやさと不思議さ。
さて、おなじみのオペラシティリサイタルホールで、間近で聴いたビルギットの演奏。
素晴らしい音色で、力強く、ダイナミック、聴衆を魅了する音楽・・!!
何もかも完璧で、虚脱した。
ビルギット・ラムスルはもう巨匠になってしまったんだな〜
15年前にパユのレッスンを受けていた可愛いビルギット。
そのときのパユとビルギットの演奏を一週間の間に聴けるとは、
まったく「奇跡の一週間」だったと言える。
ビルギットにはネットを駆使して感想を伝えることができ、彼女はとても喜んでくれた。(ちゃんとお返事をもらえた)
趣味で習っているフルートには一本の道があり、その道の先にはすごいフルーティストがたくさんいるような気がしていたけれど、
実は、私が歩いている道の先には、ああいう人たちはいないのだとわかった日だった。
キジアーナ音楽院で。 パユとビルギット
2017-12-21 15:33
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