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ウィーン・フォルクスオーパ−交響楽団 〜 ニューイヤーコンサート 〜 [音楽]

(1月の覚え書き)

(2019年1月13日(日)長野市ホクト文化ホールにて)

《ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団 〜 ニューイヤーコンサート 〜》

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1月1日からウィーン・フォルクスオーパー交響楽団が来日と知り、
もしかして長野は?と思って調べたら1月13日(日)ホクト文化ホールの公演。
こういうときは勘の良さが勝負。
運良くチケットが取れていざコンサートへ向かいました。

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ニューイヤーコンサートなので演目はお馴染みのプログラム。
歌とバレエがあり、とても贅沢なコンサートでした。

そして、何よりもフォルクスオーパーにはフルート奏者のビルギット・ラムズルがいる。
それが今回のコンサートの主目的でもありました。

これまでに2回、日本に来日したビルギットの演奏を聴いています。
1回目は、2003年、ピエール・ブーレーズ率いるグスタフ・マーラー・ユーゲントオーケストラの一員として。(マーラー6番) このときも勘で、クラシック界の若き俊英によって構成されたこのオーケストラに、きっとビルギット・ラムズルもいるに違いない、という確信がありました。
それまでマーラー6番は聴いたことがなかったので(もっぱら5番ばかりで)、コンサートの1,2ヶ月前から6番のCDを聴いてしっかり予習をしてコンサートに臨みました。。
そして・・予想通りビルギットはステージ上にいた!
あこがれのピエール・ブーレーズの指揮、
グスタフ・マーラー・ユーゲント オーケストラの迫力あるみずみずしい演奏!
本当に素晴らしかった。
休憩時にステージにかけよると、ビルギットも気づいてくれて再会を喜んでくれました。

2回目はムラマツのフルートフェスティバルのゲスト出演者の一人として。
並み居るゲスト出演者の中でも群を抜いた上手さ。
いつの間にか「巨匠」になってしまったなあ、と感慨深いものがありました。

初めてビルギットに会ったのは2002年、イタリア、シエナのキジアーナ学院で、
もう17年前のことになりますが、
それ以来、細〜い糸で繋がれているようにビルギットの演奏を聴く機会がありました。

そして、この日のウィーンフォルクスオーパ−・オーケストラの演奏。
軽やかで完成されたウィーンの響き。
オーケストラをまとめリードしていたのはフルート。
フルート1本でオーケストラ全体に匹敵する音を出し、オーケストラを引っ張る。
素晴らしい歌声と華やかなバレエが加わり本当に楽しいコンサートでした。

今回も休憩時間にステージ上のビルギットと言葉を交わし、
(ステージまで私が近づけるようにゆっくりと退場してくれて)
終了後は楽屋口で会うことができました。

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これはイタリアのキジアーナ学院。
エマニュエル・パユのレッスンを受けているビルギットです。

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サインもらいました。やっぱりスケジュール手帳を持っていて良かった。
スマホにサインはできないので。

「今年は良い一年になりそう」と言うと、
「私もあなたたちに会えたので良い一年になると思う」と。

次にまた聴ける時を楽しみにしていよう。
いまのフルート界、ビルギットはベスト5の一人に入るでしょう。

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マーラー交響曲第9番ニ長調  〜 指揮 チョン・ミョンフン / 東京フィルハーモニー交響楽団 [音楽]

2019年2月20日 オペラシティにて
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《マーラー交響曲第9番》
    指揮:チョン・ミョンフン  
東京フィルハーモニー交響楽団

この組み合わせは13年ぶりだった。前回2006年のコンサートの印象が強烈だったので、こんなに月日が経っていたとは思いもしなかった。東フィルの1番フルートの斉藤和志氏も13年前のチョン・ミョンフン指揮によるマーラー9番を忘れていないと語っている。

2日のオペラシティでのマーラー9番が今回の公演の最終日だった。
座席は2階席、斜めを見る感じになるので少し見づらい。
13年前は一階のあの辺、とかなり刻銘に覚えていて自分でも驚いた。

マーラー9番は休憩なしの80分ほど。
よく聴いた曲なのであっという間の80分だった。
マエストロはお元気そうで、東フィルの団員の強い意気込みが感じられる力強い演奏。

(プログラムノートより)
マーラー交響曲第9番は、1909年6月〜1910年4月に作曲された。
1907年、悲劇の始まり。ウィーン各紙がウィーン宮廷歌劇場総監督であったマーラーへの批判を一斉に書きたてはじめ、マーラーは真剣に転職を考え始め、6月にニューヨークのメトロポリタン歌劇場と秘密裏に契約を取り交わした。7月に、溺愛していた長女マリアが5才で急逝。1901年〜1904年に『亡き子をしのぶ歌』を作曲したことを思い悩むようになり、第9番の最終楽章の伏線となった。
まもなく自身も重篤な心臓病が発見され、こうした状況下でマーラーはウィーンを去った。

第一楽章、悲しみと苦しみを内包し、途中からそれは雪崩のようにくずれおちる。
第二楽章、陽気なワルツ、元気よい舞踏。
第三楽章、混乱だ。心はとりとめなく流れ、あちこちに乱れる。
第四楽章、静けさをとりもどし、やがて死へと続く道へと。


13年ぶりのマーラー9番は静かな気持ちで聴けた。
チョン先生と東京フィルで聴くマーラー9番、この組み合わせにはもう巡り会わないかも知れない・・・と思った演奏会だった。


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