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モンクさん、お帰りなさい [映画]

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またモンクさんが帰ってきた。
「名探偵モンク」シリーズ6がBSで始まってとてもうれしい。

モンクさんを見ているだけで心が慰められるという人は多いだろう。あの潔癖性、数へのこだわり、これはどう考えても病気と思える性癖を持った主人公が推理を働かせて見事に犯人逮捕に導く。
ストーリーの展開にモンクさんの癖や妄想がうまくからみあっていて、その細部が面白い。細部が面白いというのは、良いミステリー作品の必須条件だ。

モンクさんは人と握手がどうしてもできない。誰かが触ったものを触ってしまったときはウェットティッシュでごしごし落とさないでいられない。
物がきりのいい数でないと気になって仕方がない。物の配置も正確に揃っていなければ気がすまない。並木道を通るとき一本の木に触ったらすべての木に触って歩かなければならない。ワイシャツは常に同じもの(縫製者まで同じ)しか着ない。
大人にはわからない小さな子供のこだわりに似ている。
モンクさんのような癖は多かれ少なかれ誰にでもあって、私は高校生の頃電車通学をしていたが、どうしても「つり皮」につかまれなかった。みんなが握りしめるものなど絶対に触りたくなかったのだ。この潔癖性は次から次へといろんな物に広がっていったけど、大学生になって知人の下宿先でお茶を出されたとき「この茶わん洗ってある?」と聞いてしまい、その人に「洗ったか洗わないかなどたいした問題ではない。目に見えないないだけでバイ菌は至るところにいてそれに囲まれて暮らしているのだから」と言われ、なるほどそうだった、と目からうろこが落ちた。
人間の身体は少しぐらいバイ菌があっても大丈夫なようにできているのだ。それ以来潔癖性はかなり直った。

モンクさんは大人になっても直らなかった。それでつらくてクローガー先生のセラピーを受けている。ところが今回はクローガー先生は亡くなったことになっていた。モンクさん一体どうなっちゃうのだろう、と心配したがどうやら代わりの先生が見つかったようだ。
モンクさんには「正義」をふりかざすような所は全然ない。だって病気なんだから。自分のもろもろの心配の方が犯人逮捕よりずっと緊急課題なのだ。そして誰も気にとめないようなことが気になるがゆえにいつの間にか謎を解いてしまう天才だ。
モンクさんの良き理解者で唯一の常識人のナタリーとストットルマイヤー警部とディッシャー警部補、セラピストの先生の4人だけが、モンクさんが関わりを持つ人たち。シンプルな人間関係だけど、これで充足している。
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映画「三本木農業高校、馬術部」 [映画]

「視力を失いつつある馬と少女の物語」と聞けばおおよそストーリィも想像できるし、感動する場面も予想できてしまう。それでもやはり見に行かなきゃ、と思って終了日にやっと間に合って観ました。とても真面目な映画で、話の展開も予想通りの素直さ。それでもなかなか良い映画でした。

「のんびり楽な気持ちで観ることができる」「楽しい」「風景がきれい」「心が温かくなる」これが私が好きな(と言うより観ることができる)映画の条件です。毎日、いろいろなことに感情が揺れたり疲弊したりしているので、これ以上よけいな強い刺激を映画で受けたくない方です。

「三本木農業高校馬術部」は、とても楽な気持ちで観ることができました。大好きな馬が出てくるのでそれだけでも楽しめました。実話に基づいているというのがすごいです。
高校生生活、というのがちょっと私の年で共感できるかな、と心配でしたが、出てくる高校生はみな自然な演技で好感が持てほっとしました。主人公の菊池香苗役の長渕文音さんの、ごく普通の高校生のかわいい娘さん、という雰囲気、演技がこの映画の好印象を深めていたと感じました。

骨折した馬が処分されることになり、それに抗議する部員を馬術部顧問の先生(柳葉敏郎)が『馬はペットでねえ!』と叱るシーンは身につまされます。私自身馬や牛や豚などの家畜動物に対するとき、いつも気になってしまうのがペット動物との違い。ペットとして飼われる動物と食料や人間の道具に使われる動物がいるというのは不可解な状況です。。どうしようもなくて、ひたすら哀しい。
なぜ人間の食料になったり人間の都合で処分されてしまう動物が、人間とコミュニケーションを持ててしまうのか。ライオンはシマウマにとっては常に天敵で、仲良くなったりはしないはず。
人間だけが動物とコミュニケーションを持ってしまう・・全くの不条理です。
「経済動物」、この言葉の前にはなすすべがない感じがします。

いっときだけのコミュニケーション・・。動物との交流の不思議さ。
生と死を感傷ぬきで考えたり、哲学したりする人も、自分が飼っている動物に対してはメロメロで、愛情をたっぷりそそぎ、その動物の「生」にたいしてはげしく執着を持ったりしているのも、動物と人間の関係のどうにもならない不平等さに起因しているのかもしれません。

映画の主人公の馬コスモ(タカラコスモ)は、今も青森県三本木農業高校で馬術部員に見守られて生きているそうです。会いに行ってみたいなあ。でもよく考えれば「物語のモデルになった馬を見たい」などという感情は、無意味で自己満足的心のかたまりみたいなものなのですが。
「三本木農業高校」をネット検索したら、『馬場の様子』という項目があったので、開いてみたら「工事中です!!申し訳ございません」とありました。
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魔女の宅急便 [映画]

長いしっぽ
久しぶりに「魔女の宅急便」を見ました。
角野栄子さん原作の「魔女の宅急便」、宮崎駿によって映画制作され公開され
たのが1989年、もう18年にもなるのですね。
うちの猫のクーは子猫の時はジジそっくりでした・・・。
今は全然・・・。
18年というのは考えてみればすごく長い年月です。そんなに長い歳月が過ぎて
いたことに気付きもしないでいた。この頃はまだ何か希望を持っていましたね。
13才の魔女のキキが自立していく姿が、見ている者に安心感と幸福感を与えて
くれるような気がなんとなくしたものです。
でも世の中ちっとも良くならなかった・・。魔法は効かなかったみたいです。

ハリー・ポッターはこれより後の作品だから、「魔女の宅急便」のキキの方が
本家だと、ちょっと喜んだりして・・。ハリーポッターは映画の方は原作の素
晴らしさがずいぶん減ってしまっているけど、宮崎作品の「魔女の宅急便」は
さすがですね。今見ても、少しも古くないし見飽きない。

「もののけ姫」は屋久島「となりのトトロ」は埼玉県の所沢市が舞台、とわか
るけど、宮崎駿の作品には国籍不明の街があります。どこかにモデルがあるの
でしょうか。気になります。ここの港町はどこなのかなあ。
*下の写真は実在の、ある場所です。



宮崎駿の作品のメッセージ・「天空の城ラピュタ」によせて [映画]

「天空の城ラピュタ」を初めて見た。有名な作品だからテーマソングもよく知っ
ているけど、今まで忙しかったから通して映画を見たことはなかった。
宮崎駿は作品を創るとき、「これで世の中を変えてみせる!」という意気込みで
臨むと言っていた。宮崎駿の作品に共通するのは、純粋な心を持った少女や少年
が、大人の(人間の)醜さを現す世界の悪と果敢に戦っていくことだ。
どんな困難にもへこたれない。最大の悲しみに打ちのめされても、立ち上がって
戦う。これが見ている者に勇気を与える。

勇気を与えるもの(それが映画であれ、小説であれ、音楽や絵であれ、)は、ど
んなものもいい。子供が主人公であっても、大人が勇気をもらえる。どんなに年
を取っていても、昔は子供だったのだから共感できる。
「千と千尋」も「風の谷のナウシカ」も少女が必死にがんばる。主人公が子供だ
から、困難と戦う姿が強烈なインパクトを与える。「こんな小さな子供が一人ぼ
っちでがんばっているのだもの。今の自分の悩みなど何ほどの事があろうか」と
いう気持ちになれるのだ。「ハウルの動く城」では、年老いたソフィも力をふり
しぼって困難に立ち向かう。年取ったて、がんばらなくちゃ・・・!
(ついでながら同様に勇気をくれる作品が小説「ハリー・ポッター」だ。)

「天空の城ラピュタ」には海賊ならぬ空賊が出てくるのだけど、これが憎めない
のはなぜだろう、と考えた。軍隊も出てくるがこれは憎たらしい。空賊たちは
今の政府役人よりずっとましに見えるではないか。
多分、今の政府が悪人に見えるのは、自分たちは悪人ではなく善人です、とい
う顔をしているからかも知れない。悪人で〜す、と認めている空賊よりよっぽど
始末に負えない。権力を握り、それを自分の欲のために利用しようとする者達は
いつの時代にもいて、それと戦う人達もいつでもいる、というわけだ。
少年、少女には負けていられません。
本物の幸せと正義を守るために、勇気を持って一人でも戦わなければならない。
宮崎駿先生、こういう気持ちでいいですか?


映画「パッチギ!」(井筒監督)を見て [映画]


パッチギってどういう意味かなあと、思っていた。
何か話題作らしいけどロードショーというのはほとんど観ないので、どん
な映画かもわからない。
友人と観に行く約束をした日、TVで「パッチギ!」をやるという。
なんだ映画館にわざわざ行かなくてもいいじゃないか、と思って見た。
あとでそれは第一作だと知った。感想は、とにかく暴力シーンが多くて耐
えがたかったということ。挿入歌がなつかしく、最後は感動的だったけど、
その感動を味わうために、映画のほとんど全編に繰り広げられるケンカ
(暴力)のシーンをがまんしなければならないのかなあ・・・。
もう、こりごりと思ったけど、次は大人になっての話だから、そんなに暴力
シーンはないだろうと思って、予定通り映画を見に行った。
戦争シーンが効果的にだぶって、むごかった第二次大戦の朝鮮の人たちの歴
史と現在に至るまで続いている悲劇が、しっかりえがかれていた。
それでも一作目を見ていない友人は「暴力シーンが多すぎて・・」とこぼし
ていたが。この作品は在日朝鮮人の問題にきちんと向き合っているし、スト
ーリーもわかりやすく、訴える事がきちんと伝わってくる。優れた作品だと
思う。戦争の映像に触れることの少ない若い人たちに見てほしい、と思う。

でも私は、暴力シーンは見たくない。怒鳴り声、殴り合い、は見ていて胃
が痛くなってしまう。映画館の映像も音も大きすぎるから余計つらい。
耳栓は必需品です。耳栓しても音が大きいと感じるのは私だけ?


イタリア映画「鉄道員」 [映画]

やはりこの映画のことは書いておきたいです。あんなに有名なギターのテーマ
音楽ですが、なぜか以前にしっかりと見た記憶がありません。
この間の「12人の怒れる男たち」に続いてまた名作です。1956年製作。
監督はピエトロ・ジェルミ(このとき42才)、主演もしているのだからすごい
才能なのでしょう。
ジェルミ演じるマルコッチという鉄道員一家の家族を描いているのですが、この
一家が置かれている社会に胸を打たれました。主人公が鉄道事故に気が動転して
赤信号を見落としてし処分を受けてしまいます。
「7時間も特急列車を運転させるのが悪いじゃないか!」と訴えるマルコッチ。
30年も続けてきた仕事からはずされ別の部署に配置換えで給料も大幅に減って
しまうのです。
マルコッチはイタリア国鉄組合員、「組合は正義だの権利だのってなんにもや
っちゃくれない。」という言葉。そして労働評議会によるストライキ結集の
知らせ。仲間はみなストに入り列車は止まるが、マルコッチは長距離列車を運転
してしまう。彼に貼られる「スト破り」のレッテル。
苦悩の末、マルコッチは列車の運転をやめ家も出てしまうのです。
無理な勤務体制による長時間労働、それがもとの信号見落とし。
ストライキ、スト破り。これらのことが1960年代の日本の社会、今の日本の
社会にダブり胸が打たれました。
 
(つけたし)
モノクロの映像はとてもきれいです。レンブラントライトと解説で言っていまし
たが、モノクロならではの明暗と静謐さがきわだっています。
それから末っ子のサンドロ(この子供の目から描かれています)がかわいい。
娘役のシルヴァ・コシナという女優さんは大変な美人でした。
家の中の映像になぜかバレエ音楽「クルミ割り人形」が使われていました。
それにしてもギターっていいですね・・・


12人の怒れる男たち・シドニー・ルメット監督 [映画]

1957年作のこの映画、当時はアメリカでは全く当たらなかったという。
12人の市民から選ばれた陪審員たちが、父親殺しの容疑で逮捕された少年
が有罪か無罪かを決める。1時間半、会議室に閉じこもり討論し合っている
だけの映画だ。全員一致でないと評決とならない。与党単独採決で大事な法
律をどんどん変えてしまうどこかの国にみならってほしい。
11人が有罪に挙手するが1人だけ(ヘンリー・フォンダ)が無罪に挙手す
る。理由は「自分が手をあげれば少年は有罪となり死刑になる。一人の少年
の命を5分かそこらの話で決めてはならないと思う。」だった。
「とにかくもっと時間をかけて一生懸命に考えよう」と提案する。野球の試
合を見たいとか、早く帰りたいとか他のみんなが思っているのに一人だけ、
待った、をかける。議論や怒鳴り合いやつかみ合いの挙げ句、1時間を超え
る時間がすぎ、全員が無罪という評決に達する。
この映画は、人間社会における正義、法のあり方、人が人を裁くことの難しさ、
またどんなに困難であっても議論を投げ出してしまってはならないのだ、とい
うことを鋭く訴えてくる。
50前にこれほどの映画をつくれるとは本当にすごい事だと思う。
これが民主主義だ、と感じさせる。やはりアメリカには本物の民主主義が、
昔も今も確かにあるのだ。
戦争ばかりしているアメリカだけど、その良心というのは、たとえ少数であっ
てもずば抜けているという気がした。
今はマイケル・ムーアやノーム・チョムスキーがアメリカの良心の代表だろう
か。 日本にこれだけの映画を作れる人はいないだろう。
宮崎駿がいるか。あの人は映画をつくる時「これで世の中を変えてみせる!」
という思いを込めてつくるのだと言っていた。「変わらないんだけどね。」と
も言っていたけど。だから宮崎作品はすごいのだろうな。


宮崎 駿の作品 [映画]

宮崎駿の作品
やっぱり、何度見てもいいな〜、と思う。

「千と千尋の神隠し」はさすが海外でいろいろな賞をとっただけのことはある。
ストーリィ、キャラクターが、説得力ある。
フランスで評判になったこの作品、アメリカではそうでもなかったという。
プロテスタント的シンプルさを体質的に持つアメリカ人にとっては、
「千と千尋」の世界はきっと不気味なのだと思う。特に、親が豚になるところ。
「理解できない」とアメリカ人の友達が言っていた。
(彼女の家庭は厳格なプロテスタント)
日本人である私は、千尋の親に凡庸な中流意識の典型的市民を感じます。
(ああいう人、なんかやだなあ、という感じ)
それにアメリカはディズニーワールドだからちょっと趣向がちがうでしょうね。
フランスでは日本のアニメがとても人気があります。
フランス語の吹き替えがとてもいので私はいつもフランス語で日本字幕で見てい
ます。(こうすると、さらにインターナショナルな感じのアニメになります。)

「ハウルの動く城」もいい。 
原作がイギリス人のせいかちょっと今までの作品とは異なる雰囲気がある。 
ソフィが年を取り、何かにがんばっているとどんどん若々しくなり、
絶望するとまたぐっと年を取るところがとてもいい。

久石譲の音楽はいつも宮崎作品の映像をとても引き立てていますね。
久石譲は私と同じ高校の出身なのです。 
(自慢にならないけど小さな田舎の事だからすごい事に思えてしまう。)

NHKで見た宮崎駿はやはりすごい人だと思いました。
来年発表の作品、楽しみです。

* 写真はパリの街角。 「風の谷のナウシカ」のポスターとパリジェンヌ。
     しっくりしてるでしょう?         


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