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春の味〜オムライス〜 [diary]

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「小布施堂」のレストラン『傘風楼(SAN-POO-LOH)』のオムライス。


すごくおいしいオムライスを見つけた。(3月24日)
オムライスって子供のとき以来、レストランなどであまり食べることはなくなっていたが、美味しくてしかも安い、と評判のオムライスランチを食べに行った。

水菜のたっぷりサラダとフォッカチオが付いている。
フォッカチオと水菜のサラダだけでもう幸せな気分になってくる。
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運ばれてきたオムライスは、大きな卵焼きがふんわり柔らかく、デミグラスソースが美味しい。
おいしいからペロリと平らげてしまったけど、すごい満腹感。
おいしいものは油断ができない・・・。

それにしてもこのオムライスランチ(プレーン)、たった600円!ちょっと信じがたい価格。
しかも店の雰囲気はとても優雅です。

(「小布施堂」は長野県小布施町にあります。)
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2009年12月31日〜何にもない大晦日〜 [diary]

いつの間にか日々は過ぎ、2009年も今日で終わり。
今日が31日ということを忘れるくらい、私の頭の中では《日の意味》というのが薄れてきつつある。正月とお盆とクリスマスとゴールデンウィークがきらいな私は、これらの日々をいかにうまく忘れてやり過ごすかにいつも腐心する。
なにか国民みんなが一斉に同じ方向を向いて行動するのがやりきれなく、それにまきこまれたくないというのはもちろん、あまり目にふれないようにしていたいのである。(ただのアマノジャクかもしれないが)
今年はもうそんなに気に病まずに忘れていられるようになったので自分でもこれは名人の域に達したかも、と思っております。

以前は31日はベートーヴェンの交響曲コンサートを聴きに行っていたけど、今年はもう行く必要も感じなかった。それで教育テレビでN響の第9を聴いた。
私は年末に聞く第9はどうも好きではない。このシチュエーションでこの曲は、やはり「恒例」というのが鼻についてしまい、曲の良さがわからなくなってしまう。自分の好きなときに聞くと第9はいいなぁ、と思うこともあるのだけれど。

今年はクリスマスシーズンにクリスマス用の曲もほとんど耳にしなかった。それはラジオなどを聞かなかったせいかもしれないが、それにしても、まったく聞かずに済んだというのは不思議だ。ひょっとして、世の中、クリスマスにはしゃいだりしなくなったのだろうか。それとも聞かなかったのは私だけ・・?
ともかく今夜は教育テレビをつけっぱなしでいこう、と思っていたら、大好きなシルビー・ギエムのボレロも放映された。(これは録画できた!)シルビー・ギエムのボレロが見れるとはなんとラッキーな大晦日ではないか。

さて、この一年に書いた記事は音楽よりも馬のことの方がすっかり多くなってしまった。はやく「乗馬は時々の楽しみ」という風になりたいのだが、あまりにも上達が遅いせいで乗馬に割く時間が多くなってしまう。ふと気がつくと乗馬でうまくいかなくなった原因について考えていたりする。
音楽への情熱は馬への気持ちの半分くらいになっているような気がする。
何をやってもうまくいかないことの方が多く、いつもあせっていたような気がする。いつもあせっていてそれは今後も続きそうなので、ますます「年の終わり」などいう実感がなくなっているのだ。
街で人々が「では、良いお年をお迎え下さい。」など挨拶しているのを聞いて、不思議なことを言っているように思えた年末となった。
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桜の季節やっと終わり [diary]

IMGP0032.jpg草加市
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「人の手で植えられし桜、咲き終わり」
夕方の散歩。川が真っ白に見えると思ったら桜の花びらだった。
ミルクのようだった。

IMGP0017.jpg伊奈町
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「腕をからめ頭上で踊る花の精」
人もまばらな夕方。ここの桜はすごく背が高い。街中で見かける桜の2,3倍の高さもありそうだ。上へ上へと伸びる黒々とした幹が巨人のようで、桜のトンネルを作っている。

IMGP0038.jpg谷和原村
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「ふんわりと人の心も桜色」
桜は散りかけが好きだ。何と言っても人の混み合いがない。おそい花見を楽しむ人達が控え目にお弁当を広げたり、静かに歩いたりしていた。

どうやら周辺の桜もそろそろ散り始め柔らかなみどりの新芽が目立ってきた。桜見の「大変、大変、急がないと見頃を過ぎてしまう」といったあわただしさに替わって、ゆったりと流れる日々が始まる。
山ではこれから桜が静かに咲き始める。(最近は静かな場所もめったにないけど)
それにしても暑すぎる。4月10日でこんなに暑くてどうするの。罰があたったのかなあ。

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乗馬とフルート [diary]

IMGP0015.jpgウインテッド
美人で駈歩上手のウィンテッドに乗って駈歩を理解!
腹帯を締めるときにイヤなのか「ウィ〜ン」と鳴きます。ウィンテッドはたまに飛び跳ねたりピタッと動かなくなってしまったりということがあるようですが、幸い私はそう言う目にはまだ合わず乗り心地がよいです。こういうのを「馬が合う」というのかな。

乗馬を始めてちょうど一年になりました。
おかげで身体も丈夫になったようだし、以前より健康に気を配るようになりました。馬に乗るのは危険も伴います。安全に乗るためには、身体の柔軟性は絶対に必要で、体力だってある程度つけなければなりません。そして乗馬というのは常に良い姿勢を保たなければ、馬も言うことをきいてくれないのです。

乗馬に加えて最近フルートを習い始めたのですが、先生に注意されることが不思議と共通しているのです。
乗馬もフルートも背筋は伸ばし、肩を下げ、リラックスしていなければなりません。息を素早くたっぷり吸うところも同じです。下を向いていると注意されるのも同じです。
あっちでもこっちでも「前屈みにならないで」「上を見て」「リラックスして」と言われ続けているので、さすがに物覚えの悪い私も、だいぶ意識して良い姿勢を心がけるようになってきました。

リズム感は両方ともすごく大切です。フルートレッスンでヴィブラートを一拍4回から一拍6回にしなさいと急に言われたとき、「あ、今度は駈歩ね、123、123・・」 と心の中で駈歩イメージです。おかげでころぶことなく6回ヴィブラートもパスしました。
「リズム感がいい」とフルートの先生にほめられましたが、自分ではリズム感がない方だと思っています。3拍子がすっとできたのは、乗馬で身体で一生懸命拍子を取っているからに他なりません。
音が伸びやかに出るとしたら、乗馬でいつも姿勢を起こし遠くを見るようにしている成果です。そういうわけで乗馬とフルートは一石二鳥みたいな所があって調和するのです。

悪戦苦闘の駈歩ですが一年目にしてようやく「理解した!」と思ったレッスンを体験しました。「そうだったのか〜。」という感じ。何もせずにただ馬の背に座っていれば良かったのだ、という感じ。
この感覚をつかむのに駈歩を始めてからもかなりの時間がかかりました。やっと走っているようではとてもできたということにはなりません。先生に「馬の上であなたが自分で走っていますよ。馬のじゃまをしています。馬にまかせてください。」と言われた意味がやっとわかりました。
リズムはようやく理解できたものの、馬を駈歩にもっていくのはまだまだ練習が必要のようです。つまり常歩と軽速歩の練習がまだ不十分ということ。それにレッスンを積み重ねば重ねるほど、これまで「簡単!」と思っていたがちゃんとできていなかったことなどに気がつき始めました。
一年経ったので、これからもう一回初心に返ってやり直し、というところです。

フルートは始めたばかりなので両方ビギナーになりました。
乗馬を始めてから目が良くなったようです。車の運転時に眼鏡をかけなくても不安でなくなりました。その代わりフルートは細かい楽譜を読むと、ものすごく目が疲れます。真剣に譜面を見ているとまばたきするのを忘れてドライアイになるのか、目が痛みます。
結局、乗馬とフルートでバランスが取れているようです。
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北信濃〜今年は暖冬〜 [diary]

今年は暖冬で日本の豪雪地帯である飯山市鍋倉高原でも雪は去年の3分の1ぐらい。2月だというのに陽差しも暖かで、このまま冬が終わってしまうかのよう。
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道路沿いの雪の壁は高く見えるけど実はこれ去年の3分の1の高さ。

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若木も雪には埋もれず根元まですっと見えている雪原。

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うさぎの足跡の後ろ・・キツネの足跡。
雪の上では動物の痕跡は逆にはっきり残ってしまう。

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畑の向こうに見えるのは黒姫山。
いくら雪が足元にあっても陽差しは春めき芽吹きも力強い。
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カレンダー [diary]

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今年のカレンダーはこれ。
「沖縄美ら海水族館」の写真のカレンダーだ。

カレンダーを選ぶのは楽しく、また、むずかしい。大体は絵画が多い。
色彩や輪郭のはっきりしたピカソやミロやマティスがいい。エゴン・シーレはなんだか暗かった。
アンディ・ウォーホルの猫の絵も良かった。
あまり絵がいいと月が変わったときめくるのが惜しくなるのも困りもので、カレンダーなのに捨てられない。
月めくりにするか、2ヶ月めくりにするかも悩む。予定を立てるには次の月もあったほうが便利なような気がするけど、結局、次の月まで行くとその次の月が気になるので、やはり月めくりにした。
一年間が載っているカレンダーもあるけど、あれをジッと見ていたら、ああこれで一年間も終わりだなあ、と始まる前からもう終わりになってしまったので止めた。一枚あまり見えないところに置いてある。

今年の「沖縄美ら海水族館」カレンダーは知人の娘さんも写真家として仕事をしたそうで、すごいなあ、プロのカメラウーマンになるなんて。今どき自分のなりたいものになるなんて容易いことじゃない。
知人は早期退職をする予定で次の仕事を考えている。娘さんに「お父さん、日給5000円ぐらいで私の仕事を手伝ってくれてもいいよ。」と言われたそうでとってもうらやましい境遇。
カメラマンは仕事を頼まれたとき、「それはできません。」とは決して言ってはダメで、ダイヴィングをしたことがなくても「ハイ、やります!」と言わないと仕事など回ってこないというから、なかなか大変そうだ。
知人はロッククライマーで力持ちだから、カメラの機材を背負って山を案内することぐらい簡単にやれるだろう。
趣味でも何でも、これというものがある人はすごくうらやましい。
何にもないと、何の機会もないのである。

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横に写っている人が写真家のMちゃんのようだ。
マンタはすごい。海の上で見るともっとすごいけど、水族館の中でも感動する。「マンタは恥ずかしがり屋です。」とポナペの海をボートで案内してくれた人が言っていたっけ。
眺めるだけで感動を与えてくれる海の生き物たち・・きれいな海を大事にしなければ。
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2008年12月31日 [diary]

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今日は北風が吹いて大晦日にふさわしい寒い日。
夕方の暗い空には凍れるような三日月と金星が輝いていた。

今年も暗いニュースが多く大変な一年だった。
だけど、いつの時代も人間はもがいて生活していたのだと思えば、今日この頃の社会的不安など、かつてどこかの場所であったことの繰り返しに過ぎず、そんなに嘆く必要もないのかもしれない。
人間は哀れだけど、人間を哀れと思う気持ちと動物を哀れと思う気持ちの違いは、と問われれば、答えはないとしか言いようがない。
人間が上、だなんて人間が勝手にそう思っているだけのことなのだから。
「人権」が大事なら「動物権」も「植物権」も同様に大事なはずだから。

池田晶子の「所詮生きている間だけのこと」という言葉がしきりに浮かぶ。
何かにあわてふためいたり、絶望の淵に立っているようなときに、この言葉は浮かんでくる。ことさら悲しむことはない。いつかは自分の生も終わる。
それまではいろいろな事を経験し、考え、感じ続けていくだけだ。
「希望」はむなしい。「希望」は世俗的なものだから。

ランボー詩集の『永遠』の一節が今にふさわしい。

「人間的な願いから  人並みのあこがれから、
魂よ、つまりお前は脱却し、そして自由に飛ぶという・・・。

絶対に希望はないぞ、希いの筋もゆるされぬ。
学問と我慢だけがやっと許してもらえるだけで・・・。」(堀口大學訳)
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北信濃・冬支度 [diary]

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12月というのに暖かな日が続いています。
それでも長野県はもうとっくに初雪が降り、みな冬支度はすませたようです。
でも一度つもった雪はとけて、また晩秋の風景にもどりました。

12月14日、15日の写真。
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時々降る雪がうっすらと樹々のうえにつもり砂糖をまぶしたようでした。
晩秋から初冬にかけてのこの季節はまた風情があります。

そこに暮らす人々は雪が降ればもう観念して、長い冬越えの準備をするのです。
12月に暖かいと1月になったとたん、ドッサリ雪が降ったりするので油断できません。

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少し雪がつもった畑やススキ、真っ青な空と暖かな陽差し、いい風景でした。
たとえ人間の手が入った風景でも、木や草の存在というのは、ぐちゃぐちゃした人間社会とは無関係であって、そこが見る者の心をやすらげてくれるのでしょう。
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町の中の『小さい秋』 [diary]

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いつもの散歩道。どこもかしこも秋の色。
今年は12月に入っても暖かな日が続くので秋も長い感じがする。
地面につもった落ち葉、あまりにきれいなので写真を撮った。

秋の陽差しに照らされもったいないように輝きを放っている。
落ち葉を持ち帰っても捨てることになるけれどつい一枚、二枚と拾ってしまう。
一番きれいな色の葉を探しているといつの間にか時間が経っている。

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町の秋は別の意味で「小さい秋」、
まわりはひっきりなしに通る車の騒音と排気ガスがいっぱいの道路に囲まれて。
そういう中に、こういう秋の空間があって、
ここだけはひっそりとして、そして
見る人もたいしていないのに華やかだ。
桜のときより人が大騒ぎしていないのは、紅葉の時期が長いせいだろうか。

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こんな小さな空間でもあるとないとでは大違い。
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『田園』と「家事」と猫 [diary]

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ある音楽に感銘を受けると、その後しばらくはその曲ばかり聴くくせがある。
徹底的に「これでもういい」と感じるまで聞き続けてしまう。
今までの経験で一番長く聞き続けたのは「マーラー6番」。ピエール・ブーレーズ指揮グスタフマーラーユーゲント・オーケストラの「マーラー6番」をサントリーホールで聴いたあと、半年間毎日欠かさず聞いた。一時間の長さの曲だけど、細切れでも聞き続けた。

今回は『田園』です。これは短いから日に何度か聞けてしまう。
CDは、「カラヤン指揮・ベルリンフィル(1982年)」
で、わかったことだけど、『田園』は、家事をやるときにも聞けるということ。
一生懸命に家事をやっているときになんだかピッタリはまるのだ。『田園』を聞きうっとりしながら、仕事も調子よくできてしまう。こういう曲はめったにないから貴重です。

この間、網戸はりをやった。何でも古びてくるとあちこち傷んできて、直すべきか、買うべきか、迷うことが多い。電化製品だと修理より買った方が安いと言われるので、物によっては5、6年周期で買い替えている。すごくもったいない気がする。(使っているとそれなりに愛着もわくし、ゴミを出す分だけ環境を汚すことにもなる。)網戸の網が破れてきて、アルミの枠もがたついてきたので、ホームセンターに買いに行ったら、自分で組み立て、というのがあった。枠は補修すればなんとか使えそう。最近はホームセンターに何でもあって何でも自分で作れるようだ。それで材料を買って自分でやることにした。

家で『田園』を聴きながら作業をしていると職人さんになった気分。
一枚作るのに2時間もかかってすごく腰が痛くなったけど、やればできるじゃないか、ゴーシュ君。
かかった費用は800円。売っていた網戸は1万円以上だったから、すご〜く節約できた。

それにしてもこういうとき、猫どものじゃまなことったら・・。
新しい物を見るとどうしても確かめずにいられないのだ。そして私の作業をじっと飽きずにながめ続ける。そのうち網の上に座り込んでじゃまをし始める。
叱れば二匹で興奮して網戸と私の回りを追いかけっこだ。
まったく、猫ってやつは・・!
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