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イタリアへの旅(2)〜シエナの街〜 [旅行記]

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フィレンツェに一泊して、翌朝あわただしく8:50のバスでシエナへと向かった。1時間半ほどでシエナに到着。キジアーナ音楽院のあたりだけ見ても、古い伝統を持った美しい街であることがすぐにわかった。起伏のある狭い石畳をはさんで、石造りのきれいな店や住居、ホテルが並んでいて、ここを歩いているだけで日が暮れそうだ。

でも目指すはキジアーナ音楽院。ホテルに荷物を置いてすぐに音楽院に向かった。(ホテルは音楽院のすぐ側だ。)
セミナーは9時30分から始まり、30分ほど過ぎていたため、受け付け嬢にあっさり断られてしまった。丁寧にお願いしたけどだめだった。

音楽院の見学が叶わなかったので近くを散策した。
シエナの街の小さな路地の四つ角のような場所には必ず、噴水のようなものがあって、動物の彫像が見張るように立っている。せまい場所では建物の壁についているのもある。これは「泉」と呼ばれ住民から大切に守られているのだそうだ。
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シエナについては、池上俊一著「シエナー夢見るゴシック都市」(中公新書)に、知りたいことのすべて、シエナの魅力のすべてが書かれている。(まるでシエナに恋した著者がシエナに捧げたようなこの本は、とても良い本だ。)
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本によると、シエナは三つの区に分かれ、その三分区がさらに細かなブロックに分かれ「コントラーダ」(街区)を形成している。日本で言えば町内会みたいな単位だけど、それぞれのコントラーダは、各政庁、教会、財産を持ち、シンボル、守護聖人、旗や歌、色まであり、その強い絆は700年間(今日に至るまで)も続いてきた、というから驚く。

狭い路地の隅々までゆるみのない空気を感じるのはそのせいかもしれない。
コントラーダの象徴(シンボル)は、「竜」や「豹」「一角獣」「牡羊」「鷲」「梟」などの勇猛そうな動物もいれば、「蝸牛」「亀」もあり、中には「芋虫」というのもあるからなんだか不思議だ。動物ではなく「波」「塔」「貝殻」などもある。
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子供が生まれるとそこのコントラーダ人として教育もされる。コントラーダの絆は、観光客である私にも、数日間いるとわかってきた。

そして街の真ん中にあのカンポ広場がある。
建物と建物の間に何本も細い路地があり、少し路地を下るとパッと明るいカンポ広場に出る。
ここは、700年間市民の憩いの場で、この広場でパリオと呼ばれる馬の競走(各コントラーダの代表騎手が裸馬に乗って広場を3周して競う)が毎年7月と8月の2回、開かれている。
確かにカンポ広場は広いけど、ここで馬乗りの競争をしたら、すごく危険なんじゃないかなあ、と思った。観客もぎっしり押し寄せるので、みな何時間も身動きもできないそうだ。
そしてレースは一瞬で終わるけど、この競技までの長い長い準備期間、競技後の祝賀会までもがコントラーダの団結を強めていくらしい。
このカンポ広場にはシエナに滞在していた数日間、毎日朝に夕に通った。広場でアイスクリームを毎日食べた。アイスクリームのおいしさはイタリアが一番、と思った。

DSCN0565.jpg上から見たカンポ広場
DSCN0541.jpgカンポ広場
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広場の回りでくつろぐ人達。
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イタリアへの旅(1)〜シエナに向かう〜 [旅行記]

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ローマ建国が紀元前8世紀というから、イタリアはとにかく長い歴史があり、そこら中に遺跡やら古い建造物がそのまま残っていて、世界遺産でできあがっているような国なのだ。
イタリアと言えば、まず、ローマ、ナポリ、ベニスを思い浮かべるけど、私が行ったのは、なぜか超有名観光地ではなくトスカーナ地方のシエナだった。

シエナはイタリア中部にある小さな街。
ここにキジアーナ音楽院があり、毎年ここで音楽家をめざす人達向けのサマーセミナーが行われている。そのサマーセミナーを見学するというのが大きな目的だった。
わざわざレッスン風景を見学しに海外まで行くなんて物好きな感じもするけど、もちろんまだ見ぬ外国の地を踏んでその雰囲気に浸りたい、というのが一番の楽しみ。
プラス、音楽に関することを経験できる、というのが海外旅行の目的地を選ぶ決め手になる。

なにせこのときのシエナ・サマースクールのフルート講師はエマニュエル・パユだった。
生の演奏をコンサートで聴けるのはもちろん嬉しいことだけど、レッスンを見学というのもすごく面白い経験だ。(もちろんレッスンを受けることができる人はかなりの実力者なのです)
「ここはこうです。」「そこは解釈が違います。」など、解説をまじえて模範で演奏してみせてくれるのだから、こんなに充実した音楽体験はない。演奏家の声を直接聞けるのも、こういう聴講以外にはないのだ。

キジアーナ音楽院には直接国際電話をして予約した。
電話したとき、国際電話だから「ハロー」と応えを予想していたら、いきなり「チャオ」と言われ、あせった。イタリアに電話したのだから「チャオ」は当然なのだけど、なぜかとてもドキドキ、感動・・。電話という日常的なコミュニケーション手段が、とっても不思議に思えた。

アリタリア航空でミラノのマリペンサ空港に行きそこからフィレンツェ空港へ。着いたのは夜の10時すぎで、バスでフィレンツ市内へ向かった。バスの所用時間は20分だったけど、バス停から2分というホテルがなかなか見つからず苦労した。大きな寺院らしきものがあり明かりがとても少なく、暗い中をぐるぐる回って、やっとサン・ロレンツォというホテルにたどり着いた。

(ひっそりした場所だと思ったら朝になって見ると写真のような風景だった。)

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北信濃の春〜菜の花畑と桜めぐり〜 [旅行記]

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最近は関東でも菜の花を植えている所が増え、あざやかな黄色を楽しめる場所が多くなった。それでも、千曲川のほとりの菜の花畑の美しさには、毎年ながら感嘆してしまう。
初めてこの風景を眼にした人は、例外なく「ワァー!」と声を上げる。
まず目の前の菜の花の鮮やかさに心をうばわれ、その次には、畑の下に広がる千曲川のキラキラと悠然と流れる様、まだ残っている桜のうす桃色や、芽吹きはじめた柔らかな緑色の木々の色どりに心が躍る。遠くにはまだ雪を抱いた山々が見え、うっすらと春霞がかかっている。
「おぼろ月夜」や「ふるさと」に歌われた原風景がここである。

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すぐ近くに小学校があり、先生に連れられた元気な子ども達が来て走り回っていた。こんな場所の小学校ってうらやましい。今日は音楽の授業だったのか、みなで合唱を1,2曲歌って、さっと帰っていった。菜の花祭りが5月4日にあって、そこで歌うための練習だったようだ。かわいい美しい歌声だった。

IMGP4887.jpg小学校
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北信濃の市や町の桜は一週間前に終わったらしいが、山合いの標高が高い場所ではちょうど桜が満開で、人々があっちの桜、こちらの桜と、桜ツアーをしていた。
普通のお花見は、公園などにわっとひとかたまりに咲いているソメイヨシノを楽しむが、山間の桜は由緒ある立派な桜が数本、あるいは一本、というように点々とあって、桜から桜へかなりの移動となる。

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三水村には古い小学校がある。今は公民館として使われているようだ。こういう校舎が残っているのはなぜかうれしい。
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信濃町にある樹齢280年の「閑貞桜」は『今年は治療中』だった。皆が訪れると根の上を踏まれるため、どうしても木が弱ってしまう。「閑貞桜」はずいぶん前からいろいろ治療をしているが、今年はいよいよ大治療のようで、桜の花のつぼみを摘んで咲かないようにしてあった。
IMGP4904.jpg「閑貞桜」

「大山桜」は山道に一本だけ生えている高さ20mの見事な彼岸桜で、こちらも根の回りは今年から人が入れないように柵がしてあった。「大山桜」は見上げるような大きさでいつ見ても驚く。
IMGP4920.jpg「大山桜」

「しだれ桜」小さな村落の神社のわき、崖の上にある。道路はやっと車が通れる狭さだが、やはり人がおしよせている。
IMGP4926.jpg「しだれ桜」

花の咲く時期というのは気難しくて毎年数日〜一週間ほどちがい、その時期をはずすと見ることはできない。昨年は「大山桜」は散りかけていた。今年は間に合ったが、その代わり丹霞卿の桃の花はまだ早すぎた。でも平地の畑の桃はこの通り。かわいらしく咲きほこり春の嬉しさを伝える。
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飯山の鍋倉高原の春。不思議なピラミッド形の小山は冬の間に捨てられた雪の山。雪は上に土をかぶせて溶かす。日に日にこの山は小さくなっていった。

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4月26日〜4月29日  (飯山市、信濃町、牟礼町、飯綱町)
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世界遺産チェスキー・クロムロフとエゴン・シーレ [旅行記]




プラハからバスで3時間、世界遺産チェスキー・クロムロフの街がある。
ヴォルタバ川(モルダウ川)が小さな街を包み込むように流れていて、一つ一つの家が愛らしく、寄り添ってまるで小さなおとぎの国のようだった。
川岸のレストランで食べる食事は何とも優雅でぜいたくな気分。




13世紀にできた都市で、戦争で荒廃していたものを、ていねいにすみずみまで復興させて現在のような姿になったと言われている。ヨーロッパには古い建物を大切に残す伝統が強く、その修復技術にはいつも驚かされる。

ここにはエゴン・シーレ(1890~1918年)の美術館がある。
ウィーン世紀末の画家で私が好きなのはエゴン・シーレとクリムトで、28才も年が違いながら二人は良き友人だったそうだ。(クリムトが年上)亡くなったのも同じ年で、このときエゴン・シーレはまだ28才。
若くして死んでしまう偉大な芸術家がそうであるようにシーレもまたたくさんの絵やデッサンを残している。
チェスキー・クロムロフにはシーレの美術館があってあって、こんなに観ることができてしまっていいのか、と思うほど多くの作品がたくさんあった。
ウィーン生まれのシーレの美術館がチェスキー・クロムロフにあるのは、彼の母親の家があって、シーレもここに滞在したのだそうだ。当時はチェコはオーストリア領。その家が今は美術館になている。
エゴン・シーレの絵は独特の耽美な暗さがあって、チェスキー・クロムロフのおとぎの国のような街の雰囲気は全く釣り合っていない。シーレのあのどうしようもない暗さと向き合った後に、街の明るい優しい雰囲気はあまりにちぐはぐで、美術館を出たとたんめまいがした。



(クロムロフ城から街を眺める。)


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黄金のプラハ(続) [旅行記]

プラハを語るのに欠かせないものに、マリオネット劇場がある。ハプスブルグ家によってドイツ語が強制された時代が長く続き、チェコ語は蔑まれたが、大道芸人による人形劇でチェコの言語・文化は守られ伝えられたという。だからチェコの文化を守った人形劇は、チェコの人にとってとても大切なものだ。
マリオネットの人形は単なるオモチャではなく、表現の手段だという意識があり、プラハには1300以上のマリオネット劇団があるそうだ。
私もカレル橋の近くの「王の道マリオネット劇場」で『ドン・ジョバンニ』を観たが、とても楽しい舞台に引き込まれた。終わって拍手したとき、人形遣いが前に出て、その人間のあまりの巨大さにびっくりした。
人間が巨大だったわけではなく、小さな人形の織りなす世界に感情移入していたため、人形の後ろに人間がいることを忘れて、見事小さな舞台を大きな舞台と、錯覚していたためだった。

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さてプラハ城だが、ここにはカレル4世のとき造られた聖ヴィート教会がある。完成までに600年かかったというこの教会、石造りのゴシック建築とステンドグラスが美しい。

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また聖イジー教会では、いつでもコンサートが開かれていて、私が訪れたときも、教会の中でコンサートを楽しむ事ができた。ヨーロッパの教会はコンサート会場として使われることが多いが、響きのよい教会はコンサート会場として最高である。西洋音楽を中世までさかのぼれば、グレゴリオ聖歌なので、教会と音楽は切り離せない。教会は街でも村でも至る所にあるから、ヨーロッパではコンサート会場に事欠かないのだ。小さな教会では少人数でのコンサート、大きな教会では小さなものから大きなものまで開かれる。
このときは室内楽で、モーツアルト、グリーク、シベリウス、ドボルザーク、チャイコフスキーの小品を聞いた。観光地でコンサートを聴けるなんて無上の幸せだ。

このイジー教会のすぐうらに(城内に)不思議な小さな路地がある。プラハ城で働く召使いが住んでいた場所で、「黄金小路」と呼ばれている。この路地には、プラハが生んだ作家、フランツ・カフカが仕事場に使っていた家があった。(生家は旧市街広場の近くで、今はカフカ博物館になっている。)青春時代にカフカの作品に魅せられた人は多いと思う。カフカの家は今は本屋になっている。記念に昔感動したなつかしい『変身』の英語版を買った。カフカの家は青く塗られ天井が低く、外から見ても本当に小さなかわいらしい家だった。
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モーツァルトが「フィガロの結婚」をプラハで初演して、拍手喝采をあびたことは有名な話だが、チェコを代表する作曲家と言えば、スメタナとドボルザークが思い浮かぶ。チェコ国民楽派(ボヘミア楽派)と呼ばれている。
そのスメタナホールにも行ってみた。地元のオーケストラで、売られた花嫁序曲、新世界(2,4楽章)、スラヴ舞曲、そしてモルダウを聞いた。
東京で聞くのとは全くちがう感慨がある。曲の一部にはバレーリーナが出てきて美しいバレエを音楽に合わせて披露した。ウィーンフィルのニューイヤー・コンサートにも必ずバレリーナがバレエを踊るのが不思議だったが、コンサートとバレエを同時に演じるのは、ヨーロッパではきっと普通のことなのだろう、と思った。
(私は音楽だけの方が集中できるのだけど・・。)
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黄金のプラハ [旅行記]

チェコの首都プラハは、中世(ゴシック)からバロック、ルネッサンス、アール・ヌーボーの様式の建物が保存された美しい街だが、その歴史は他民族によって侵略され弾圧され続けた過酷な歴史だ。
ボヘミア王国の首都だったプラハは、14世紀、カレル4世のときに神聖ローマ帝国の首都となった。カレル4世によって、プラハ城、中欧初の大学(カレル大学)、豪華なカレル橋などが造られ、当時のヨーロッパの商業の中心地、ヨーロッパ最大の都市として発展し、「黄金のプラハ」と呼ばれた。
その後ハプスブルグ家によって400年間支配され、20世紀にはナチスの侵略、次にソビエト連邦の影響下、東欧社会主義国として40年間独裁政治がしかれ、ビロード革命によって民主化したのが1989年、今からやっと19年前のことだ。

民衆の力が一つになって革命を起こし、一人も死者を出さなかったのでビロード革命と呼ばれている。長い間の独裁政治によって荒廃した街は、人々の力で見事に復興している。今は「黄金のプラハ」「中世の宝石」の呼び名にふさわしい華麗なプラハの姿がある。
モーツアルトもロダンもワーグナーもプラハをこよなく愛したそうだ。

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IMGP0816.jpgカレル橋の上

プラハのメインストリートとも言える豪華なカレル橋は、広場とも言えるほどの幅広さで、橋の石組みは600年前のままだと言うからおどろく。30体のキリスト教の聖人の彫像が飾られ、ミュージシャンや大道芸人が芸を披露し、いつも観光客で賑わっている。橋からはヴルタヴァ川の両側に広がる街並が見渡せすばらしい眺めだ。
チェコの真ん中を縦に流れるヴルタヴァ川には17の橋がかかっている。
このカレル橋は川の西側にあるプラハ城から東側の旧市街広場へと続く「王の道」の真ん中になる。

泊まった宿はカレル橋のすぐ側で、15世紀に建てられたという建物がそのまま修復はされていて、内部は美しく、15世紀の気分に浸れた。
チェコの人達は古い建物をとても大切にし、修復して、美しい街並みを保っているのだ。

IMGP0824.jpgキング・ジョージ

その上食べ物がどこでもすばらしくおいしい。
プラハで最初に食べたブラックライス、その後で食べたブラックリゾットはびっくりするおいしさだった。また小麦粉を練ってゆでたクネドリーキは何の料理にも合う。

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そしてビール・・。
あのきめの細かいビールは本当においしかった。アルコールのダメな私にもそのおいしさはわかった。本に出ていた、老舗の「新参者お断り」というビアホール『黄金の虎』に試しに行ってみたけど、ドアの中にいたおじさんに睨まれてしまいやはり入ることはできなかった。

IMGP0915.jpg『黄金の虎』
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スペイン一人旅(終)〜ミロとピカソとガウディ〜 [旅行記]

IMGP4654.jpgミロ美術館屋上一部

最終日、ミロ美術館とピカソ美術館を訪れた。
スペインで気が付いたことは、ここは鳥が多く、しかもとても良くさえずるということ。そしてバルセロナのショッピング街は道路の真ん中に小鳥を売っているスツールが多かった。まるで花屋のように小鳥を売る店がたくさんあって不思議だった。スペイン人は鳥が好きでみな鳥を飼っているのだろうか、と思った。
鳥と言えば鳥の歌《スペイン・カタロニア民謡》がある。チェロの名手カザルスが平和への祈りを込めて弾いた演奏とカザルスの言葉「私の故郷のカタルーニャでは、鳥たちは平和(ピース)、平和(ピース)、平和(ピース)!と鳴きながら飛んでいるのです。」(1971年に国連大会議場で開かれた演奏会での、カザルスの発言)が思い浮ぶ。

そう言えば、ミロの絵のテーマは、常に「太陽」「星」「女」「鳥」だ。どの絵にも小鳥がいる。ミロはバルセロナ生まれな。「太陽」「星」「鳥」はなるほどまぎれもなくバルセロナ(カタルーニャ地方)の象徴のように思える。この美術館は明るく光りあふれる空間でミロのやさしく楽しい作品に囲まれ至福のときを過ごせた。

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ミロ美術館の明るさに比べ、ピカソ美術館の方ははごちゃごちゃした裏通りにあり、中もなんだか薄暗く、高校生の団体がいて騒々しく、居心地がいい雰囲気ではなかった。ピカソはアンダルシア地方のマルカ生まれで、14才のときバルセロナに移り住み、23才までスペインを転々としたそうだから、思春期のもっとも感じやすい時期をこの地で送ったことになる。
ここではプラド美術館にあるベラスケスの有名なマルガリータ王女の絵「ラス・メニーナス」をテーマにしたピカソの連作、同名の「ラス・メニーナス」が非常に印象的だった。

ぶらぶらバルセロナの街を歩いてみたが、のんびりした雰囲気で、治安情報はかなり大げさなのではないかと思った。街のあちこちにスコットランドのサッカーファンが緑と白のTシャツ姿で勝利を祝っていた。

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最後に再び「カザ・ミラ」を見ることにした。自自由自在の形や装飾がふんだんのガウディの不思議な建築物。外観はくねくねとめまいが起きるようなマンション。内部は意外にも落ち着いていて暮らしやすそうだった。実際に「カザ・ミラ」はマンションの一戸が公開されているだけで、他の家には普通に人が住んでいるのだ。後でTVで「カザ・ミラ」に住む家族の番組を見たけど、一体いくらするのかな、とつい考えてしまう。

IMGP4662.jpgカザ・ミラ

屋上は好きな場所でくねって曲がり、階段が登ったり下りたりのワンダーランドで、遠くバルセロナの街が見渡せた。

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2004年のスペイン旅行は治安が悪いという情報でかなり緊張していたため、記憶が鮮明に残っているようでもある。最近の安全情報は特にスペインが危険というわけではなさそうで、普通の観光地並といったところ。スペインに住み現地でツアーガイドをしている人が「一体安全情報って誰が流しているんでしょう!」と憤慨していたが、そう言われてみれば、情報源は何に基づいているのかわからないのだけど、実際に被害に遭った日本人が多かったのにちがいない。
カタルーニャ料理はとてもおいしそうだけど一皿の量が多いので数人で分け合いたい。バルセロナでランチを食べたがサラダがとびきりおいしくて10種類以上の野菜がギューギュー詰まっていて、食べても食べても半分も減らず、かえって増えてくる感じがして途中でギブアップしてしまった。何人かで料理をオーダーする方がいろいろ楽しめる。

ダリ美術館は見る時間がなかったので今度行ったときに見たいと思う。ミロとピカソとダリとガウディには共通したものがあるように思われる。
2004年3月27日帰国。それにしてもスペインは遠い。かかった時間は往路24時間、復路22時間だった。
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スペイン一人旅(5)〜ガウディとサッカースタジアム〜 [旅行記]

IMGP4639.jpgガウディの家
IMGP4638.jpgグエル公園

バルセロナで再び市内観光ツアーをした。バルセロナはなんと言っても建築家ガウディの存在が大きく感じられる街だ。グエルがスポンサーとなりガウディが造った「グエル公園」、1882年に着工され(ガウディは1883年から建築の中心となる)今でも建築途中にある「サグラダ・ファミリア教会」、街中にあるガウディが手がけた建物、マンション「カザ・ミラ」や「グエル邸」が、ひときわ目を引く。ガウディの表現は、奔放で陽気で、どことなくまがまがしいところもあり、建物を見ると目が眩む。曲線がいたる所に使われ、子供のように自由な発想でおとぎの世界を生み出している。悪趣味とも思える派手な色があふれるグエル公園。
カザ・ミラの外観は魔法の館のようにくねくねとうねり、めまいが起きそうだ。
サグラダ・ファミリア教会は巨大でヨーロッパの教会の大きさ比べの中でも一番なのだろうか。大きいだけではなく、細部に凝った装飾があり、見ているだけで気の遠くなる作業だ。人間って、どうして大きなものを造りたがるのだろう。サグラダ・ファミリアはどうやってもカメラには収まりきらなかった。
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午後に、ツアーで一緒になった日本人家族と一緒に回りましょう、ということになって、なぜかバルセロナのカンプノウ・サッカースタジアムに行ってしまった。私には無縁の場所。観客席からはグランドがオモチャのサッカーゲーム場のように小さく見え、なぜこれをわざわざ日本から見に来るのだろう、と思った。チケットは4万円だそうで、これでも安い方だ、とはおどろいた。単純にただよく見るためにはテレビの方がずっと良く見えるではないか。地元の人が応援に来るならわかるが、日本からサッカー観戦ツアーがあると聞いておどろいた。コンサートではないのだから、生で観戦する必要は全くないように思える・・。
明日、試合があるそうで、もうファンのスコットランド人らのグループが集まって騒いでいた。
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このサッカーファンには、試合の前夜祭および勝利の祝いで、二晩続けて真夜中の大騒ぎに悩まされることになった。サッカーってナショナリズムだなあ、と思う。と言うよりナショナリズムに組み込まれやすいということか。それでも、スペインでは若者によるイラク反戦デモが大規模で行われたのだ。スペインに行ってみようと思ったのもそういう国を見たかったということもあった。
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スペイン一人旅(4)〜特急アリタリアでバルセロナへ〜 [旅行記]

マドリッド(アトーチャ駅)から特急アリタリアでバルセロナへ向かった。
不安だったので旅行社にホテルからアトーチャ駅までの送迎を予約してあったが、そんな必要は全く感じなかったので、キャンセルして自分でタクシーで行くことにした。送迎をわざわざしてもらうとちょっとの距離なのに6500円、タクシーだと700円だった。
スペインのタクシーは安く、運転手さんがみなとても感じがいい。

一ヶ月前爆発テロがあったアトーチャ駅は、静かで人も少なく、平和そのものだった。アリタリア号の座席はゆったり明るく清潔だった。ここから5時間の列車旅だ。海外では列車の移動を入れておくとその国の風景を楽しめるし、何よりもあわただしい観光の間の休養になる。
列車はすいていて、先に行くにつれどんどん人も降り、途中からはガラガラになった。車窓からは、広い広いイベリア半島の風景が広がっていた。行けども行けども、荒野と、所々に畑のある風景が果てしなく続いている。

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そして空は、本当に紺碧の空だった。いろいろな形をした白い雲がぽかりぽかりと浮いていて、空というものがこんなに立体的に見えたことはなかった。雲の合間から陽光が降り注いでいるさまは、西洋の宮殿によく見る丸い天井画のようだ。天井画はきっとこんな空を描いたのだろう。真っ青なこの空と雲の合間から降り注ぐまばゆい光りの中に天使が見えそうだ。キリスト昇天の図だ。何度も何度も昇天の図が車窓から見えた。
あまりにも空が広く陽光が強いので、雲の下は薄暗く見え、雲のない所はズドーンと真っ青な空がつきぬけている。これが「スペインの空」・・。
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荒野の濃い茶色の中に見える緑色は小麦だという。人影も町も全く見あたらない。あんな広い所でどうやって畑仕事をするのだろう。畑に行くだけでも大変だろう。茶色と緑の大地に、たまに鮮やかな桃色が見える。桃の木だ。梅も梨の花も見える。日本の春を思い出し、とても懐かしく心がぽっと暖かくなる。突然、地面が消え、町か、と思ったら、海だった。空と同じような真っ青な地中海・・。タラゴナだ。ここから1時間ほどでバルセロナだ。

IMGP4486.jpg車窓から見る地中海

こんな風に回りに広がる景色に癒されながら、予定通り5時に、バルセロナ・サンツ駅に到着。今回は安いツアーに乗ったので、ホテルは4つ星とは言っても、ここも大型で安っぽい雰囲気。やはり自分で小さなホテルを予約する旅が一番なのです。

さてスペインに来たのにまだフラメンコを観ていない。この日は見にいくことにした。フラメンコ・レストラは予約が必要。予約をしてショーの始まる30分前に、レストランに行ったら、もう食事はできない、という。「どうして? まだ30分もあるでしょう。」と何度も訴えたが、30分で食事は無理と、最終的に料理長に断られてしまった。
結局、飲み物だけで、ショーを観たのだが、サングリアを飲んだのが失敗だった。フラメンコは素晴らしかったのだけど、すきっ腹にアルコールが回って、途中で目の前が白くなったり暗くなったり、こんなところで一人倒れるわけにいかないと、すごくあせった。

やっと終わってタクシーを拾った。バルセロナのタクシーの運転手さんもやはり感じがよく、何より人と話ができたのがホッとした。
ホテルに着いたのは10時近かったけど、まだレストランは開いていて、倒れ込むように席に着いた。スペインは昼食もおそいが夕食も8時過ぎからが普通で、どうしてもリズムが合わない。
疲れがどっと出ていたのに、前菜から始まるコース料理は次の料理が出てくるまでがかなり時間がかかる。おまけに一皿の量が多くがんばっても3分の1位しか食べられない。回りの客はみなゆったりとワインとおしゃべりを楽しんでいる。夕食にはこんなに時間をかけるものなのか。
3皿目のとき、ついに私は「私はとても疲れていて早く休みたいので、もう全部さっさと持って来て。」と頼んだ。「わかった」と答えてスピードアップしてもらったけど、それでも全部終わるのに1時間半はかかっていた。フラメンコ・ショーで30分の食事を断られるのも無理はなかった。
食事をあわただしく10分や20分で済ませる習慣など、スペインの人には信じられないことにちがいない。
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スペイン一人旅(3)〜世界遺産トレド〜 [旅行記]

翌日の午前中、マドリッド三大美術館の三つ目、国立ソフィア芸術センターへ。
ここでピカソのゲルニカを観た。圧倒的な迫力。ピカソの絵をこんなにゆっくり観て回れるのが信じられない幸運に思えた。日本だったら、有名な絵画はギューギュー詰めの人のすき間から見たりしなければならないのだから。
それでもゲルニカの前は人が多かった。小学生や、幼稚園生、中学生のクラスが代わる代わる絵の前に座り、美術館員の熱心な説明を聞いていた。子供の頃からこんな風に絵の鑑賞ができるなんてうらやましい。ゲルニカ制作過程を追った写真の展示室があり、これはとてもおもしろかった。ここにはピカソの他にミロ、ダリの作品があって何とも豪華な美術館だ。

IMGP4473.jpg トレドの街

午後はトレド観光へ。これも時間がなくツアーに乗ったが、マドリッドからトレドへ向かう観光バスの車窓から郊外をながめると気持ちもほぐれてくる。。
トレドを数時間のあわただしい観光で回るなんて、とてももったいないことだった。歴史ある建物が良く保存されていて、青い空と灰白色の石の色、赤い屋根、とても美しい街だ。それになんといっても、エル・グレコゆかりの場所だ。ギリシャのクレタ島で生まれたグレコは仕事を求め、35才のときにトレドにやってきて、以後40年間画家としてここで暮らした。グレコの独特な美しい、青みを帯びた灰色、グリーン、茶色、黒色はこの街の色と繋がっているのだ。

IMGP4477.jpg カテドラル
IMGP4593.jpg サント・トメ教会グレコの絵
(この中にグレコ自身も描かれている)

ツアーガイドの人がグレコの作品が展示されているサント・トメ教会の一室を、「ここに展示されているのはすべてエル・グレコの作品です。」とだけ言って、さっと通りすぎようとしたので、「ちょ、ちょっと待ってください。10分間ここにいてはだめですか。」とお願いした。
これだからツアーは困る。きっとこのガイドさんはエル・グレコの作品はさほど好きではなかったにちがいない。10分なんて・・。きっとまた自分で訪ねよう、と思った。

IMGP4480.jpg トレドの門

マドリッド着は8時近く、これからがスペインでは夕食時間なのだが、レストランで食事をする体力(危険な夜に食事に一人で出かけるエネルギー)はとてもなく、また残り物のサンドイッチで済ませて終わった。

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