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馬と人の総合芸術・「ジンガロ公演『バトゥータ』」 [芸術]

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馬と人の騎馬劇団「ジンガロ公演」を観てきました。
「ジンガロ」は1984年にバルタドスによってフランスで旗揚げされ、民族、宗教を越えた世界観を持つ騎馬スペクタクル。日本では2005年に初公演をして、今回が二回目ということです。
これまでの演目を調べると、ユーラシア大陸とアフリカ大陸の騎馬民族をテーマにした『オペラエケストル』、インドの放浪の民をテーマにした『シメール』、韓国と日本の文化を表現した『エクリプス』、チベット僧とのコラボレーションで生と死をテーマにした『ルンタ』ーこれが前回の日本公演ーという風に本当に多様な文化を取り上げていて興味深い芸術です。
騎馬団員、楽団員、スタッフそして馬も様々な国から集まっているそうです。馬は100頭。

主宰者のバルタドスは制作、演出を手がけ、「彼が倒れれば馬も倒れ、彼が踊れば馬も踊り出す」「馬と完全に以心伝心できるシャーマン」と言われている人。
一つの作品を創るのに3年かかるとか。
「ジンガロ」といのはバルタドス氏の長年の愛馬の名前で、この馬の最期の演技は『エクリプス』だったそうです。(1997年〜1999年)

今回の作品は『バトゥータ』。ルーマニアとモルドバに定着したロマ民族の音楽(ルーマニアの2つの楽団による)にあわせ、遊牧民の魂と自由を讃えた作品でした。
木場公園特設会場・・いつものコンサート会場とはちがい何か独特な日本ばなれした雰囲気。馬が休んでいるのであろうプレハブの建物がいくつもあり、かすかに馬の臭いがしてワクワク。会場入り口の階段の上から偶然開いていたすき間から馬が走っている影がちらちら見えました。

中は円形劇場で中央の舞台がよく見渡せました。ステージの真ん中に天井から水が落ちていて、暗闇に目をこらすとその回りにたくさんの馬が佇んでいるようです。
いよいよ始まりを告げるアナウンスが・・。「メダム・テ・メシゥー・・」の呼びかけでもう「おぉ、フランスだ・・」と感動。
馬が驚かないように「ハンカチを頭に乗せたり(砂よけ)、急に立ち上がったりしないでください」という注意もなんのその、いきなり会場内に設けられた楽団席から思い切り陽気な音楽がはじまり、同時に明かりがつき、見事なたくさんの馬が走り出し、会場は歓声と拍手の渦でした。
会場には向かい合うように弦楽団と管楽団が位置し、つぎつぎに音楽を奏で、それに合わせて息をつく間がない人馬の演技です。
息を飲むような騎馬技術、疾走する馬の美しさ、圧倒的な力強さ・・!!

馬にしがみつくように乗馬をしている私には、なぜ走っている馬の上に立ち上がってダンスをしたり、走っている馬から逆さまになって地面に手をひきずりながら走れるのか、逆さまの状態から馬の腹をくぐり反対側によじ登ったりできるのか、まったくまったく不思議でした。
並んで走る2頭の馬に片足ずつ乗せて走る、馬の背宙返りする・・もうただ、ため息。
騎乗している人達・・本当にカッコイイのです。地面で跳んだりはねたりするだけでもすごいことですが、それを疾走する馬の背中でやっている・・人馬一体とはこういうこと、奇跡のようでした!1時間30分の演技の間中、拍手は鳴りやまず、汗びっしょりになりました。

演技が終わり近くになり、音楽を合図に10数頭の白い馬がステージ中央に身を寄せるように集まり、その中の一頭が天井から滴る水の下で背中をうたせて佇んでいる。そのとなりで静かに横になり優雅に砂浴びをする馬がいる。またもう1頭砂浴びを始めた・・信じられないけどあれは役割が決まっているのでしょうね。
すべての馬が立ち去ったのに、一頭だけ残って砂浴びの仕草を続け、それからゆっくり立ち上がって舞台袖に去って行く。本当に見事な演技でした。

何といっても馬の美しさが圧倒的です。
3月26日まで公演が続くのでまた見に行くチャンスがありそうです。

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会場内の写真撮影できないのでせめて馬の厩舎だけ。
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山内ケンジ「新しい歌」・城山羊の会 [芸術]

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9月10月はコンサートに行くのをぐっとがまんしていましたが、11月後半に入りやっと私にとって芸術の秋を満喫する時がきました。まずは演劇です。

山内ケンジ作「新しい歌」   (神楽坂『IWATO』にて11/20〜11/27)
    作・演出;山内ケンジ
    CAST :山本裕子  岩谷健司  岡部たかし 渡部裕一郎
         三浦俊輔  金谷真由美  石橋けい  安村典久

山内作品の演劇を観るのは三回目ですが、今年の2月の「新しい橋」はまだ印象に残っています。
前回の感想はこちら  
    http://sachat06.blog.so-net.ne.jp/2008-02-09
あのときのチラシに、山内氏は、深浦加奈子さんに『またやりましょうよ。出るわよ。』と背中を押され、なんとかここまでやってきた、と書かれていました。その深浦さんが8月に急逝され、今回のチラシは「(深浦さんがいなくなって)もう演劇をやる意味がなくなってしまった。だけれでもやった・・」「とにかく私は途方に暮れ、今でも暮れているのですが、やれたのは今回集まってくれた俳優のみなさんのおかげです。」と書かれていました。

山内ケンジが、途方に暮れながら「途方に暮れる」話を書いた、と言っているように、演劇を見終わったときの気持ちは、前回もそうでしたが「ああ、人間てもうダメだな」という絶望感みたいなものです。何か寄る辺なく途方に暮れるのです。それと深浦加奈子さんがいないという「不在感」が劇中ずっとありました。まるで深浦さんが出演されているようなものです。挿入歌「新しい歌」は鎮魂歌のようで、見終わった後まで耳に残りました。
前回の深浦さんの、あの不思議な透明感、夢か現かはっきりしない話のヒロインの実に自然な演技は、今考えても独特な存在感でした。

「途方に暮れる」今回のお話、相変わらずすぐ近くで普通に展開されているような日常、役者さんたちのすごく普通らしい(ありそうで)、でも突拍子もないような演技・・・舞台に出ていってつい「そうではないでしょう。そんなこと止めなさいよ。もっと前向きに考えましょう。」と口を出したい気分になりました。それが山内作品のねらいなのかな・・。
劇が終わった後に深浦さんの追悼の映像(美しい映像でした)が流され、感慨深かったです。

演劇が終わって外に出れば、これまた前回同様、寒く冷たい雨が降っていて、暗い雰囲気なのでした。そして一体他の人はどう思ったのだろうと気になるのでした。でも、こわいもの見たさで、また次も観たくなるのです。山内さん、次の作品もがんばって下さい。
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「新しい橋」 作・演出;山内ケンジ [芸術]


「新しい風」作・演出;山内ケンジ
        出演;深浦加奈子  古舘寛治  岡部たかし  金谷真由美
           小浜正寬  石橋けい
山内さんの『城山羊の会』の演劇を観るのは2回目。
一見ありそうにないけど実は非常にありそうな話を、ありそうにないシチュエーションで、ありそうな言葉を使って描いている作品。
ストーリィは夢の中の話で始まり、途中で現実になるが、その現実は夢と比べもっと悪夢というもの。
演技者は小劇場に合わせ、ごく普通の声の大きさで演技をしていた。そのリアリティは、これはどこかで知っている人だ、と錯覚するほど。
俳優さんたちの演技のうまさ、それに何と言ってもこの作品を作った山内ケンジさんの非凡な才能のなせる業なのだろう。
観客は舞台上の演技者に、身近な人物あるいは自分を重ねあわせずにはおられない。とても演技でやっているとは思えない、地でやっているように見えるのです。演出家の山内氏は人間への鋭い観察眼を持ち、ある世界を創り出してしまう「言葉」の力をすごく良くわかっている人なのだろう。
登場人物があそこまで自分の知った人のように感じるのは「典型的人物」だからだろうか。でも、典型的というのはある性質が際だっていることで、際だちすぎてはリアリティがなくなる。典型的人物をそれと気付かせない自然さで演技するというのはたいしたことだと思う。
またこうも考えられる。現代に生きる人間は、多かれ少なかれ、画一化され、みなある典型の中に当てはまってしまうのではないか、と。1億人もの人間がみな似たような言葉を話し、自分とそっくりな人間がたくさんいるということになるのではないか。それは絶望だ、と思う。

山内さんの本業はCMディレクター、テレビドラマも作っている。民放をほとんど見ない私でもいくつか知っているCMがある。一番すごいな、と覚えているのが、一世を風靡したNOVAのCM。サラリーマンが会社帰りに英語の勉強をしながら歩いているあのCMです。駅前留学の大ブームを起こした。彼の作品は独特の個性が際だっているのですぐわかる。クォーク少年が出てくるのも彼の作品。最近では、白い犬が先生として出てきて「ケンカはヤメロ!」というCM。これは山内作品だな、と思っていたらやはりそうだった。
テレビドラマは私が絶対に見ない時間帯、絶対に見ない内容の「I(アイ)の世界」というドラマを、山内作品だからと思って観たことがある。不思議で面白い作品だった。

「新しい橋」は笑いながら見れるのだが、後には深い絶望感が残った。もうこの社会も人間もこれで終わりだな、救いがないな・・、という感じです。ただし、他の観客はどういう感想を持ったのかはわかりません。世代によって、いろいろな感じ方をしたのだろうな、と思いますが大変興味があります。
下北沢の駅前劇場は古く天井が低く狭く観客でいっぱいでした。狭くて古い劇場から外に出れば、みぞれまじりの冷たい雨。これまた絶妙なシチュエーションでした。1時間半、真剣に観たので疲れました。

ついでに・・山内健司さんは大変うまいJAZZトランペット奏者でもあります。


シルヴィ・ギエム [芸術]

「白鳥の湖」
暗闇の中、緞帳が上がると、ほの暗く青白いステージにたくさんの白鳥が静かにたたずんでいる。それまでいた世界とはあまりに別の世界が突然現れ、思わず息をのむ美しさ・・。
マッシモ・ムッルの王子が登場し拍手が湧く。息を止めて観客が見守る中、シルヴィ・ギエムの白鳥が静かに舞台に現れ、観客は熱を帯びた拍手を送る。「白鳥の湖」第2幕の始まり・・。
ギエムの白鳥は、現代バレエで見せる強靱なバネとエネルギーの奔流はどこに脱ぎ捨てたのか、というつつましさと優美さと気高さ・・。
人間に生まれて良かった、と思う一瞬だ。この芸術、この完璧な表現。
ストイックに、来る日も来る日も肉体を鍛錬し練習を重ね、食べるものも制限し、普通の人が味わう遊興とは全く無縁の生活をしているこの芸術家たち。
そういう精神性を持った者だけが描くことができるバレエや音楽などの芸術を、なまくらの私が味わえる。
これは奇跡のように嬉しいことだ。たいていは人間でなければ良かったと思っているが、人間で良かったと思えるのです、このときばかりは。

全幕の「白鳥の湖」を見たかった。でも後半には現代バレエPUSHがあった。
振付家のラッセル・マリファントとギエムが2人で踊る。とても生身の人間とは思えない。重力も感じさせず、というより完全に重力をコントロールし、水の中か宇宙空間かを動いている感じ。ギエムの肩のあたりの見事な筋肉の一本も見逃したくなかった。前から5列目だというのに双眼鏡はやはり役だった。
30分間もの長い踊り。5000馬力の人間、いやサイボーグだ。魂を吹き込まれたサイボーグを見ているよう。あんなに激しくもスローな動きを身体中の筋力を駆使して汗が感じられない。呼吸の乱れもない。30分間の最後だけ呼吸していることが感じ取れた。見事な、という言葉は少なすぎる。

帰り道、建物の裏手に出たら数十人の人がギエムが出てくるのを待っていた。思わずフラフラとその群れの中に入った。サイボーグではない生身のギエムを一目見たかった。30分ぐらいしたらホールの人が出てきて「サインをして下さるそうです。写真は遠慮してください。」まさかサインもらえるとは思わなかった。ちょっと離れた所から生身のギエムを見れさえすれば、と思っていました。
間近で見たギエムは非常にほっそりとむしろ小柄に見え、赤のTシャツを着て、つば付き帽子をかぶり、少女のように見えた。握手した手はほっそりと長い指で「アリガトウゴザイマス」とにこやかだったけど、やはり雲の上の人に感じられました。

芸術家に乾杯!こういう人達がいなかったらわたし生きていけないです・・。


(追記)
DVDを見ると、ギエムがパリ市内を運転する姿ときたら、すごいです。気が強くて危なっかしくて。パリジェンヌってこうなのでしょうか。ケガをしないでほしいです。


バレエの話 [芸術]

IMGP3626.jpg シルヴィ・ギエムが日本にやって来ましたよ。東京バレエ団と共演です。 1年に一度はバレエを観ますが最近はほとんどシルヴィ・ギエム一筋です。 長年のバレエファンとして言いますが、シルヴィほど美しく、力強く、観客を圧倒する力を持つバレエリーナはいないと思います。 20世紀はバレエが花開いた時代で、二ジンスキー、マーゴット・フォンテーン、マイヤ・プリセツカヤ、ジョルジュ・ドン、ヌレエフら、歴史に名を残すバレエリーナがたくさんいますね。 子供の頃、はじめてボリショイ・バレエ団を観たときの驚き。(あのときはレペシンスカヤと言うプリマでした。)人間の身体ってこんなに美しいものか・・。 ジョルジュ・ドンのボレロを初めて観たのはもう彼の晩年だったのですが、映画「哀愁のボレロ」の感動がよみがえってきました。ボレロの他にジョルジュ・ドンがソロで踊ったのは、マーラー5番の第4楽章アダージェットでした。曲が流れ、暗闇からジョルジュ・ドンの手、そして徐々に身体が浮かび上がってくる、舞台には左の隅に一脚の椅子だけが置いてある・・。マーラーのアダージェットとジョルジュ・ドンの踊りが完全に調和していました。舞台に立つだけで、それほど動かなくても身体から音楽が鳴っている・・そんな感じでした。 「哀愁のボレロ」の中で、ジョルジュ・ドンはボレロの他に、何とベートーヴェン交響曲7番第4楽章を踊っています。これは一見の価値あり。 シルヴィ・ギエムの素晴らしさはたとえようもありません。鍛え上げた筋肉を駆使して超然とした、あるいはこの上ない優美な表現力・・。 これまでに観た作品は、「マノン・レスコー」「キューブ」「三人姉妹」「TWO」など、それに「ボレロ」。 まあ、なんというか詰めかけていた観客はもうメロメロでしたね。休憩時間にトイレに行くとみんな(特におばさんたちが)フーッとため息ついている、とそんな感じで・・。 今回はなんとシルヴィの「白鳥の湖」なのです。古典をシルヴィはどんな風に踊って見せてくれるのか、大変楽しみです。すらりと長い手足のシルヴィなので大白鳥でしょうね。    ボレロを踊るシルヴィ・ギエム / ジョルジュ・ドン

モネの家 [芸術]

モネの家への道
フェルメールについて書いたので絵の話をもうひとつ。
印象派の画家モネについて書いておきます。一番本命のセザンヌやゴッホについては、なぜかもったいなくて書けません。その前にも好きな画家、ピカソ、ミロ、クレー、マチス・・たくさんいますね〜。
とにかく今日はモネの家の紹介です。モネがたくさん描いた睡蓮の池の写真を紹介しましょう。場所はパリから1時間ほどのジヴェルニーという田舎町です。

モネがジヴェルニーに住んだのは、もう印象派としての名声を確立した50才(1890年)のときでした。モネの家は大きくて広大な庭がついていました。

モネの家

家の中はほとんど当時のまま残されていて興味深いです。家の中は写真が撮れなかったのですが、ゆったりした居間はアトリエとしても使われていたようです。
部屋や廊下、階段の壁には生前モネが収集した美術品がたくさん飾られていますが、日本の浮世絵が一番多かったのです。ゴッホも浮世絵に傾倒し、浮世絵の模写をしたり、自分の絵の背景に浮世絵を入れたりしています。パリ万博で日本の美術品が紹介され1870年頃はいわゆる「ジャポニズム」の一大ムーヴメントがありました。このときモネは30才位です。印象派にとって葛飾北斎をはじめとする浮世絵はとても人気があったのだと感じます。
モネの居間からは大きな庭が見えます。

モネの居間からの眺め

さて、庭だけど、花が咲きみだれる散歩道が大きな蓮池の回りにそって続いています。池と言っても大きな公園の池ぐらいはあるので、運動なんぞ自分の家の庭ですんでしまいますね。




蓮の池はモネがわざわざ水をひいてつくったものというから、モネは裕福だったのでしょう。この蓮池を描いた作品は数多くあります。下の写真ですが、モザイクにすると「モネの絵」になるところが面白いです。色を光りの粒子ととらえるのは画家の目ならだれでもそうかと思うけど、印象画派はその光り粒子に焦点をあてたのですね。
それまでの写実主義は暗く重苦しい画風が多いので、印象派あたりから私もぐっと絵に親しみを感じるわけです。


モネは1890年から亡くなる1926年までの間、ここジヴェルニーで暮らし、その間に200点もの睡蓮の池の絵を描いています。モネは「この庭と池こそが、わしの最高傑作じゃよ。」と言っていたそうな。
「睡蓮」以外で私が好きなのは、「日傘を差す女」(モネ夫人の絵)と「積みわら」などです。


フェルメールの作品 [芸術]

真珠の耳飾りの少女

好きな画家はたくさんいて絞れないのだけど、セザンヌ、ゴッホは足跡を訪ねたぐらいなのでちょっと別格かもしれない。また17世紀のオランダの画家フェルメールの作品もかなり好きなほうだ。
フェルメールの作品数は少なく、美術館に分散しているので、まとめて観ることってなかなかできない。以前、ロンドンのナショナル・ギャラリーに行ったとき、あるはずのフェルメールが見つからない。係員に「フェルメールはどこですか?」と尋ねたら、気の毒そうに「申し訳ありません。彼女はニューヨークに今行っています。」という答えが。
絵のことを言うのに"She" と言うので妙に実在感を感じてしまいました。

フェルメールの作品の中では「真珠の耳飾りの少女」が一番惹かれるが、NHKでフェメールの作品にまつわる映画をやっていた。「真珠の耳飾りの少女」のあの目の光り、わずかに開いた口、何とも言えない表情が気になっていたが、映画の中で取り上げていたので思わず「なるほど」と思ったのだけど、実際は17世紀の画家の気持ちを知るのはむずかしいでしょう。
それにしてもオランダには、レンブラント、フェルメール、ゴッホの3人がいるのだからすごい。それからモンドリアンまで・・。
アムステルダムに行けばたっぷり見られる。

ある画家の絵が評価されるというのは不思議なものだ。評判が評判を生むということは多いと思うけど、それだけでもないと思う。上野美術館にフェルメールの作品が来たことがあった。その部屋は一番最後の部屋にあったのだけど、部屋に足を踏み入れたとたん、部屋の奥の絵が異彩を放っていて、それがフェルメールだった。名画が持つ力強さというのは凡人にもわかるのか、と思って感動した。それ以来私は絵を見るときは自分の目を信じて、良いと思った絵が良いのだ、と判断している。
これは絵画も音楽も同じで、自分の目と耳と心で接するしかない。
また芸術の面白さは、一度目の出合いではなく、あとになってすごさがわかるという場合も多いことにあるかも知れない。

フェルメール「牛乳を注ぐ女」
レンブラント「夜警」

「牛乳を注ぐ女」は9月26日から12月17日まで国立新美術館で展示。
彼女は、今日本にいます。

(「真珠の耳飾りの少女」の模写)


ゴッホが描いた桃の畑 [芸術]


こちらはゴッホの描いた桃の花。「ピンクの果樹園」という題名がついてい
る。アルルの果樹園も信州の果樹園も同じであることに感動する。
桃の花はピンクなのだけど花びらはわりと白く花弁の内側が紅い。
ゴッホは明るい太陽を求めて南フランスのアルルに住んだ。ここで愛する友
ゴーギャンと黄色の家に住み、「ひまわり」や、椅子とベッドのある「部屋」
「種をまく人」「果樹園」「夜のカフェ」などの作品を描いた。
ゴッホは「働く人こそ私が描きたいものだ」と言っていた。
アルルにはローヌ川が流れ、夜になるとゴッホが描いた「ローヌ川の星月夜」
となる。「夜のカフェ」もゴッホが描いたままの雰囲気で残っている。
ゴーギャンとの共同生活も結局うまくいかず、唯一の味方は弟のテオだった。
生涯、孤独で貧困のまま精神を病んで亡くなったゴッホの人生はあまりに悲
惨すぎて、こんな人生ってあるだろうか、と思う。
今、ゴッホの作品が何十億で売買されてるって、ものすごく皮肉な事だ。
「もっと、絵の具を買いたい。お金があれば、もっと絵の具を買って、もっと
もっと絵の勉強ができるのに。」と言い続けていたゴッホだった。

日本の菜の花畑や桃の畑の風景をゴッホに見せたかったです。


ゴッホとマーラー [芸術]


ハーディングのマーラー5番の効き目はさすがで、あれ以来コンサートに
行く必要性を感じていません。
ダニエル・ハーディング率いるロンドン交響楽団によるマーラー5番につ
いての記事をもう少し。「これはモーツアルトの対極だった。弱音の際で
はなく、強音の限界を狙う。大管弦楽器をぎりぎりまで解放し、ゴッホの
油絵のように、絵の具をコテコテに盛り上げる。すさまじい音量とまばゆ
い音色が溢れかえる。まるで野獣の饗宴だ。」(片山杜秀・評論家)
ゴッホの筆致のうねるような勢い、無秩序に見える画面の奥に感じられる
構成の確かさ、荒々しいのに観る者を暖かく包むような色彩、なるほどマ
ーラーの狂気(?)と通じるものがあるかも知れない。正確にはハーディン
グが再現したマーラーの世界ということになるか。
そう思って改めてゴッホを観る。私の一番好きな作品は「星月夜」。
(無謀にもこれをステンドグラスにしようと何度か試みた事があります。)
しかし実際にはゴッホは絵の具をごてごて塗っているわけではなく意外と
薄塗りだそうです。こてこてに見えるのもゴッホの才能ならではです。
ゴッホの人となりと彼の作品について、
「ゴッホの絵画を居間の壁に掛けているのは大きな誇りだろう。しかし、
ゴッホその人を居間に座らせるはめになったら、こりゃもう、考えただけ
でえらいこったよ!」
本当にうまいことを言う、と非常に感心した言葉ですが、これを言ったの
は「第五福竜丸」を連作で描いた画家ベン・シャーンです。
いろいろな符号があるものです。

*写真はゴッホ作「星月夜」。「夜のカフェ」や「ローヌ川の星月夜」
などゴッホの描く夜景は青と黄色が夢のように効果的に使われています。
マーラー5番はやはり「星月夜」でしょう。天体観測をしたとき頭に鳴り
響いたのもマーラー5番でした。


ベン・シャーンが描いた「第五福竜丸」 [芸術]


ベン・シャーンは20世紀のアメリカを代表する画家。
絵本『ここが家だ』はベン・シャーンの絵にアーサー・ビナードが文を
書き構成している。第五福竜丸事件を2人のアメリカ人が絵本にしてい
る。ベン・シャーンの絵はどこかで見た人が多いと思うが、この絵本の
中でゆっくり見ることができる。
ベン・シャーンの描く線は力強くしかも繊細。色彩は哀調を帯びた青に
グレイ、白、やや暗い橙色、黒が基調で、葬り去られる史実を映し出す。
19世紀末、リトアニアに生まれたベン・シャーンは7才のとき家族と
一緒にアメリカに渡る。中学校を卒業してすぐに石版工の見習いにな
り、その後美術学校で学び、独自の画風をつくりあげていったひと。

(後記『石に刻む線』アーサー・ビナード より)
「石版工として、石の抵抗に負けず迷いもぶれもなく線を彫り込むこと
を覚えた。線の力が、もはや自分の気質の一部となり、毛筆で描くとき
でも、私は石に刻む線を描いている、」晩年の言葉。
30才の頃、サッコとヴァンゼッティ事件が起こる。(第一次世界大戦
中、平和主義者でアナーキストであった2人がえん罪で、多くの人々の
反対運動にも関わらず死刑になった事件)べン・シャーンはこの事件に
のことを23の連作にして発表した。そして社会の語り部として、純粋
絵画や壁画だけでなく、雑誌の表紙やさし絵、レコ−ドジャケットやポ
スターも手がけた。人間を直視した彼の最後の連作が「第五福竜丸事件」
だ。久保山栄吉を主人公としたこの作品について、ベンは「彼を描くと
いうよりも、私たちみなを描こうとした。・・・幼い娘を抱き上げた久
保山さんは、わが子を抱き上げるすべての父親だ。」と語っている。


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