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音楽の都・ウィーン [音楽]


ウィーンが3世紀もの間音楽の中心であり続けているのはなぜか、いつも
不思議に思う。宮廷に仕えた音楽家達が、手厚い保護のもと活躍の場を与
えられたことは有名な話で、モーツアルトは死ぬまで宮廷と関係があり、
聴衆は貴族階級の人々が中心だった。そしてフランス革命が起こりウィー
ンもその渦中に巻き込まれた頃、つまりモーツアルトより15年くらい遅れ
てベートーヴェンが民衆のための音楽を書き始めた。(ベートーヴェンが
ボンからウィーンに出て来た頃はまだドイツという国さえなかった時代だ。)
ウィーンはモーツアルト、ベートーヴェンの後、ブラームス、ヨハン・シュ
トラウス、シューベルト、シューマン、・・・と偉大な作曲家、演奏家をと
ぎれることなく生みだしできた。
世紀末を代表してマーラー、ブルックナー。20世紀になってシェーンベルク、
ベルク、ウェーベルンと流れが続く。この流れを伝統とは言わないだろう。
系譜はあるが、すごい速さで進化している。

300年もの間、偉大な音楽家が集まってきて、西洋音楽の歴史を創ってきた
ウィーン。今もそれは変わらない。丸山眞男は西洋音楽は「調性」を持った
た音楽であるゆえに数百年の命を保つことになったと語っている。
いつかは終わるのだろうか。どんな風に変容するのだろうか。

ウィーンが音楽の中心であり続けたのは、やはりウィーンの人々の無類
の音楽好きというのも背景にあるかもしれない。
写真はウィーンのシェーンブルン宮殿の前庭で開かれた馬の舞踏ショー。
宮殿の前に馬のショーのための舞台を組み立ててしまうのだからすごい。
そしてこのショーではウィンナーワルツに合わせて馬の舞踏を見せてく
れた。ワルツはウィーンのものと相場が決まっているけど、馬でさえワ
ルツを踊るのだから、と納得してしまった。

また、このシェーンブルン宮殿は戦争後、住む家のない人用のアパートメ
ントとして使われたというのもすごい。現在もまだアパートとして使われ
いるのだ。一体家賃はどの位なのだろう。戦争で家を焼かれた人のために
貸し出したのだから、高いはずはない。それにしても毎日世界から来る観
光客はうるさいにちがいない。ただし、観光客のいない夕方から朝にかけ
ては広い宮殿の庭も我が家の庭。一度味わってみたいものです。

街角のあちこちで音楽を学ぶ学生(?)が、一人で、あるいは二重奏や三
重奏で名曲を奏でているのも、ウィーンならではの光景です。


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