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フルトヴェングラーの話 [音楽]


音楽評論家の中野雄さんなどに言わせると、「今はすごい指揮者がいなくな
ってしまった。解説者みたいな人ばかりで・・」だそうだ。
そう言われても、もういない指揮者の演奏は聴けないので困ってしまう。
「フルトヴェングラーとカラヤン」(中川右介著)という本を読んでいる。
史上最高の指揮者と言われているフルトヴェングラーだが、敗戦後に非ナチ
ス化の裁判を受けている。ドイツにナチスが台頭した12年間、多くの音楽
家が亡命したのに彼はドイツに留まっていたため、ナチスの宣伝協力をした
という容疑だ。実際には、ユダヤ人音楽家の亡命に力を貸し、できるかぎり
ナチスに協力しないようにしていたらしいが、それでもドイツに踏みとどま
ったのはドイツ音楽をこよなく愛していたのと、ヒットラーもまたドイツ音
楽を溺愛し、この偉大な指揮者を手放さないために、ある程度の自由を認め
ていたことによるものらしい。ナチスの宣伝相のゲッペルスは、フルトヴェ
ングラーに強制的に指揮をさせるということは避け、あくまでも本人の自由
意志で演奏活動をしているという形を崩したくなかったと言う。そんなこと
をしたらドイツ帝国の汚名になると考えたらしい。
ここまで読んで日本の事を考えた。君が代を歌わせたり、伴奏させたりする
ことは、民主主義国家としての恥にはならないのだろうか、と。  
日本は「恥の文化」を持つ国と言われていたのではなかったか、と。 (続く)


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コメント 3

ゆき

蕎麦の写真は、フルトヴェングラーの話の前ではあんまりだと思い一時的に削除しました。またほとぼりがさめたら。
by ゆき (2007-05-10 21:45) 

herosia

去年、自分のいなかで「村八分」にされたという事件が報道され、とっても恥ずかしかった。21世紀の日本でですよ。田舎にかえるとなつかしくて居心地がいい。でもその居心地のよさってぬるま湯の井の中の状態だと思うよ。日本の恥ってムラの中とか世間様とかのもので、正義に対してとか芸術の真理に対してとかの良心の呵責ではないからね。日本の神様だってムラの神様だから、旅に出たり、よその国に行ったら(特に侵略戦争の場合)何やってもかまわないのね。天知る地知る、我知るというのは西欧の考え方なんでしょう。なあなあで和を大切に。俗物ですね。君が代・日の丸の強制に関する芝居でイギリスで提携しようとしたら、英国人には理解不能だということで、キャンセルされたそうだ。もっと越境可能な文化を扱いましょうということらしい。村八分の国である。理解不能だろうなあ。
by herosia (2007-05-10 21:47) 

ゆき

昔は日本にも悪いことしたら天罰が下る、という考えがあったと思うけど、近代以降はすっかりなくなりましたね。民主主義とか正義という言葉の前に襟を正して、ということは今の日本の社会には絶対にない。国民の反対が多かろうと、明日は国民投票法案も参院可決になるでしょう。
ひきょうな事しても自分が勝ったり、得すればいいという考えがまかり通っているのです。
外国の人に理解できないと言われれば、それが日本だ、何が悪い、と開き直るだけでしょう。
国際的に見てある意味で非常に遅れていると私は思います。(技術だけは先頭切っていますが。)
by ゆき (2007-05-10 22:14) 

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