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アムステルダムの話(6・終)アンネ・フランク [旅行記]

アンネの日記
アムステルダムの話、最後はアンネ・フランクのこと。
今日がアンネの誕生日でもある。今から78年前の1929年の6月12日にアンネ
はドイツに生まれた。1933年1月30日、ヒトラーがドイツ首相となりユダヤ
人政策が進めら、アンネの一家はオランダに逃れた。
「それはとてつもない民族主義だった・・。マスコミは完全にナチスの奴隷だ
った。絶対に逃げられない、運命的で絶望的な脅威だった。」(トロイマン)

オランダ人は追われてきたユダヤ人に対してきわめて同情的だったという。ヨ
ーロッパの中でもオランダほど人種差別をしないことを徹底してきた国はない、
と司馬遼太郎は言っている。オランダ人の偏見のなさは旅行でも感じられた。

アンネの一家が隠れ住んでいた建物を訪れてみた。建物の前は新しくつくり変
えられているけど、内部は当時の生活がアンネの日記に書かれているそのまま
に保存されていた。本棚の後ろが入り口になっている。アンネの部屋、姉さん
のマルゴーの部屋、居間、台所など小さいけどきちんとした家だった。
アンネは13才の誕生日に日記帳をもらい、その数週間後に劇的な運命の中に
のみこまれていった。アンネの日記はその後の2年間に書かれた。

「この隠れ家は、身を隠すのには理想的なところです。床がわずかに傾いてい
ますし、湿気もひどいんですけど、こんな快適な隠れ場所は、アムステルダム
じゅう探したって、いえ、オランダじゅう探したってほかにはないでしょう。」
                       (アンネ・フランク13才)
「私たち若者にとっては、現在のように、あらゆる理想が打ち砕かれ、踏みに
じられ、人間が最悪の面をさらけだし、真実や正義や神などを信じていいもの
かどうか迷っている時代において、自己の立場を固守し見解をつらぬき通すと
いうことは、大人の二倍も困難なことなのです。」(アンネ・フランク15才)

アンネの一家はたくさん家族の写真を撮っていて、アンネが生存していた証と
して見る者の心を強烈にゆさぶってくる。まるで自分の家の古い写真を見てい
るように感じる。何百万のユダヤ人の一人一人が、アンネが感じたような気持
ち、恐れ、絶対的な絶望を抱いて、理不尽に殺されて死んでいったのだ。

アンネの家の前にも運河は流れている。この景色を昼間は見なかったのだろう
か、それとも隠れてこっそり見たことはあったのだろうか。
オランダにアンネ・フランクの隠れ家が大切に保存されていることは、オラン
ダという国の一つの大きな象徴のように思われた。

アンネが住んでいた建物の前
アンネの家前の川の向こう岸


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コメント 6

おおくにあきこ

最終回のアンネ・フランクの話は圧巻でした。小学生のころ、こんな子どもがいたんだと思った、ショックだった。だけど、やはり今ほどに痛みはなかったと思います。そう思うと、私はかなりゆっくりと成長したのかなぁと思います。今、ようやく、世界や歴史が間近です。
by おおくにあきこ (2007-06-12 14:41) 

solea01

おお、ついに出たな。最初は少年時代にテレビでミリーパーキンス主演の映画を見てこの話を知りました。オードリー・ヘップバーンに主演依頼をしたら彼女自身がオランダでレジスタンスの手助けをしていたというあまりに生々しい体験から、断ったのだそうです。そういえばパーキンスもオードリーに似ていますが。日記の方は、改訂版で読みました。お父さんが性などに興味を持った部分を、生前は発表していなかったのを加えたバージョンですね。映画も本の方も重い話です。ここは一度訪れて見たい。
by solea01 (2007-06-12 18:47) 

herosia

必死にかくまった人々がいたということだけがささやかな救い。アンネフランクが、まだ生まれてから78年しかたっていないということもショックだ。うちの親と変わらないんだから。60年たって戦後は終わった、なんてとんでもない。親の代の出来事をなんで忘れられようか。日本のここの所の政府の動き、人々のありようが本当に情けないよ。お誕生日おめでとう。いつも忘れないようにしています。
by herosia (2007-06-12 20:58) 

ゆき

みなさん、アンネのために心のこもったコメントありがとうございます。やはりアンネの日記というのは、第二次世界大戦が残した、最大のメッセージの一つだと思います。
私は中学生の頃、アンネのその後の境遇を知らずに「アンネの日記」を読み感動し、その後でアンネの結末を知ったときにはどうしようもない気持ちになったことを思い出します。
まだ15才のアンネの何と愛らしいことか。そして何と正確に(痛ましいほどに)世界を見据えていることか。
言葉を失います・・・。
by ゆき (2007-06-12 21:36) 

fo-rey

アンネの日記,やはり読んだだけとは違うのでしょうね。それにしても,オランダという国のすごさですね。歴史観もずいぶん違うのでしょう。オランダではどんな歴史教育がなされているのか,またアンネをかくまった人(たち)のことも詳しく知りたくなります。
by fo-rey (2007-06-13 07:46) 

ゆき

オランダの人は「オランダ国籍を持てばみんなオランダ人だ」と思うようなおおらかさがあるようです。それでも自ら手をさしのべようとする人は多くはなく、積極的にユダヤ人を援助した人はわずかだったそうです。一緒にいるところを見られたら逮捕されるという状況の中では、それも当然だったのでしょう。
by ゆき (2007-06-13 20:08) 

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