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エリアフ・インバル、マーラーを語る(2) [音楽]

10673993.jpg インバル氏 「マーラーは私の人生そのものだった。もちろんハイドン、モーツアルト、ベートーヴェン・・彼らはみな天才で偉大で、彼らの音楽を演奏できるとは大きな喜びだ。しかしマーラーは、私にとって偉大な天才というだけでなく、私の人生においてもっと本質的なものであった。」
「マーラーの音楽には古典派的なモチーフ、ロマンチシズム、民謡、ファンファーレ、ユダヤのポピュラー音楽まで、すべてがあります。マーラーは、人生、世界のすべてを曲の中に現そうとしました。」

インバル先生が語るように、マーラーの曲には、すべての世界、すべての人間の感情が込められ、その交響曲は凝縮された宇宙という印象を強く持っています。
1番や4番は自然へと感情が向かい、喜びと愛とその陰に存在する不安を感じる。6番「悲劇的」や2番「復活」に人の世の厳しさとそれに立ち向かう勇気、希望の光を感じます。
9番は「死」「埋葬」の象徴。9番ほど人生に対する深い愛着と惜別の思いを表した曲を知らない、とインバル氏も語っていましたが、9番を聴いたとき、肉親の死をまざまざ思い起こさない人はいないだろうと思います。
5番は私には宇宙、星空であったり、輝かしい夜明けであったり・・。
これらはマーラーについて誰もが語る言葉ですが、それが「普遍性」というものなのでしょう。「普遍性」を持つ音楽に説明は要らず、音楽を聴いた後に、ああ、あれは(あの感情は)これだった、と言葉が付いてくるものです。
インバル氏「マーラーの交響曲はI期(1番〜5番)II期(6番〜8番)III期(9番10番、大地の歌)ととらえられると思う。自伝的、主観的な世界、抽象的な世界、形而上的なものへと変わっていった。」

マーラーはウイーンフィルで10年間も音楽監督を務めたが「反ユダヤ主義的」な雰囲気にたえられずニューヨークに渡る。ここで好評を得たがやはり同じ居心地の悪さを感じ1年で止めてしまう。「一生ボヘミアンであった。」と氏はまるで肉親を懐かしむように語られた。
マーラーの曲が細部に渡って、陰影に満ち、喜びと不安や恐れ、天使と悪魔があちこちの現れるのも、人間の哀しみをマーラー自身がずっと持っていたことによるでしょう。

さて今回の講義につめかけたのは若者から年配の方まで様々な世代の人達でした。質問会もあり、どんな質問にもていねいに答えるマエストロでした。中には「日本のオーケストラのレヴェルはどうですか。」なんて聞く人がいました。来年4月から都響の首席指揮者就任が決まっているインバル氏、もちろん日本のオーケストラをほめていらっしゃいました。(4月の公演も見逃せません。)
最初に事務局の人が「風邪をひいている方はマスクを用意しております。」と何度も言ってました。インバル先生に風邪を引かれたら大変ですからね。サイン会でも握手はしないで下さい、と念押しされました。それでも2mの近さでの講義、インバル氏の風格は印象に残りました。
今日のマーラー6番はどうだったのでしょうか。


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herosia

インバルとフランクフルトの全集が出てから、はや20年たったのですね。しかし録音の良さと解釈の新しさはいまも際立っています。日本におけるマーラーブームは彼によるといっても過言ではないでしょう。この間、ラトルの新解釈やブーレーズの参入など、多くのマーラーの録音が出現しましたが、インバル氏のマーラー観はどう変わったのか。または不動なのでしょうか。尋ねてもらいたかったです。聴いている側もいつも新しい発見があり、やはりマーラーは偉大であります。
by herosia (2007-12-21 21:21) 

ゆき

インバル氏にとってはマーラーは不動でしょう。不動ではあるものの演奏する度に新たな発見がある、とのことでした。
そう言えば初めてのマーラーのコンサートはピエール・ブーレーズ率いるグスタフ・マーラー・ユーゲントの6番で、これは圧巻でした。ブーレーズの淡々としてぐいぐい引っ張る指揮でオーケストラは怒濤のように素晴らしく劇的な音楽を演奏しました。ブーレーズもいいし、メータもいい。アバドもラトルも・・ときりがないですね。東フィルはチョン・ミュンフン、ダニエル・ハーディング指揮でマーラーをやっているし、都響がインバルでマーラーとなると、いろいろ楽しみも大きいです。
by ゆき (2007-12-21 22:11) 

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