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マーラー交響曲第7番ホ短調「夜の歌」 [音楽]

ラトルのマーラー7番
エリアフ・インバルのお話、終わりのつもりだったけど、今回のインバル指揮東京都交響楽団の公演、マーラーの6番、7番について付け加えます。
5番はマーラーの音楽の中でもひときわ輝きを持ち、もっとも美しいアダージェットがある。次の6番「悲劇的」はメロディックな所がぐっと抑えられて、淡々とした運命の足音が聞こえるようなイメージがある。仕事がきついときなど、この6番を聴いて気力をふりしぼったりしたものでした。

そして7番ですが、この曲は「夜の歌」という副題がついていますが、祭りのようなリズム、メロディが出てきて、7番を聴いていると、何かカオスの真ん中に立っているような感じがします。まぎれもないマーラーではあるのですがどこか破綻しているようにも思えます。この曲は『醜いアヒルの子』と呼ばれ、演奏される回数も少ないと言われます。

インバル先生に「7番をどう思われますか。とくに第5楽章はどう理解したらよいかわからないのですが。」と質問した人がいました。(景気の良い太鼓の響きで始まり、また突然違う世界に入っていく不思議な5楽章です。)
インバル氏の答えは「この曲はマーラーが自伝的、主観的世界を脱し、抽象的な世界へと移っていったもので、マーラーは人生を離れたところから眺めている。ここには一種オプティミズムのようなものが現れている。7番が苦手という指揮者もいて、例えばジュリーニは7番の指揮は私にはできないと言ってやらなかったが、私は他の曲との違和感は感じない。」というものでした。

一般的にマーラーは聴き慣れないと簡単には理解できないところがあって、ハードルは高いのですが、味わい深さはその分大きいです。
写真のCDは、サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団のマーラー7番(名盤と言われる。)ラトルも節目節目に、マーラーを演奏しているようで、もちろんバーンスタイン、カラヤン、ブーレーズ、アバドなど他の大物指揮者がマーラーに対峙する姿勢を見ても、マーラーの存在は大きく、ただならぬ作曲家という感じがします。
マーラーは「やがて私の時代が来る」と言い残してこの世を去ったといいますが、インバル氏が語ったように確かに天才は予言者ですね。


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herosia

運悪くと言うべきか、一番最初に買ったマーラーが7番でした。曲の短さと歌唱が入っていないことが選択理由でした。1番は「巨人」というそのタイトルに怖じ気づき選びませんでした。その頃この曲はあまりいい解釈がなく、どうも少し傷んだウニのような演奏だったので、私はウニは嫌いになります。そんなわけでマーラーへの傾倒は数年先送りされました。いまはラトルのおかげで少々傷んだウニでもおいしくいただけるようになりました。ゲヴァントハウスのマズア様すいません。
by herosia (2007-12-23 10:10) 

ゆき

私の場合、マーラーとの本格的出合いが6番「悲劇的」だったので、かなり幸運だったかもしれません。ちょうど真ん中当たりから6番以前のマーラー、以後のマーラーへとアプローチできましたね。なお付け加えるならば、マーラーからベートーヴェンへとさかのぼったこと。これはピエール・ブーレーズ先生も同じことを言っていらっしゃいました。現代を生きる我々にはマーラーが一番しっくりしたということでしょうか。
by ゆき (2007-12-23 21:29) 

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