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シューベルト「萎める花」 [音楽]

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正しい名前は「シューベルト/『萎める花』の主題による序奏と変奏ホ短調Op.160」
最近は「萎める花」ではなく「しぼんだ花」と言うのだそうだ。「しぼんだ花」では詩的情緒も風情も消えてしまうような気がして抵抗を感じる。なぜわざわざ改める必要があるのだろう。
さてシューベルトのフルート曲「萎める花」は、かなり好きで良く練習した。今思うとできっこない曲だったのだけど。知らないというのはこわいもの知らずです。この曲はシューベルトが歌曲集「美しき水車小屋の娘」の一曲をフルートとピアノのための曲にしたもの。シューベルトが書いたフルート曲はこれのみで、初期ロマン派の中でも唯一のフルート曲であり、古典派以降、近代までこの曲以外フ ルート曲は無いという貴重なものです。
CDではまずオーレル・ニコレ、それからシュルツだろう。エマニュエル・パユのもあるがこれはパユがすごく若い時の作品なので、ニコレやシュルツに比べると、ポタージュとコンソメスープぐらいの違いがあるように感じてしまう。(パユのCDは現在廃盤)
その後、コンサートで聴いたパユの「萎める花」は、歌曲の重々しさと哀切を輝くばかりに表現した演奏でさすがだった。
コンサートではフルーリィも聴いたことがある。フルーリィの音は端正でしかも暖かみがある音、数学博士でウィーンフィルの首席奏者というのも、なぜか頷けてしまうような演奏だった。
また、信州の小布施国際音楽祭で、マガリー・モニエの「萎める花」を聴いたことがある。彼女の演奏にはびっくりした。今まで聴いたことがないような演奏、まるで別の曲のように聞こえた。マガリー・モニエはフルートを演奏というより、美しい歌声を聴かせてくれたように思えた。芸大の金昌国先生がこの音楽祭の監督で、翌日の中島千波美術館での演奏会で、たまたまお話する機会があった。さっそくモニエの「萎める花」の演奏について「まるで歌曲のように聞こえました。」と感想を言うと「あの人はすごい人だ。最近のフルーティストの中では最高じゃないかな。」とおっしゃっていた。
この小布施国際音楽祭は6年ぐらい続いたが、地方財政の逼迫のためか、昨年から規模を縮小して、ただの音楽祭になってしまったのはとても残念だ。
先日久しぶりに、NHKBSとFMラジオで「萎める花」を聞いた。
一人は、マチュー・デュフォー、FMの方はウィリアム・べネットだった。
久しぶりに聞くシューベルトの「萎める花」はやはり名曲で、難曲で、奏者によってかなり印象が異なる曲だと思った。長い曲なので最後まで聴き手を惹きつける演奏はむずかしそうだ。出だしはあくまでも美しく、途中もあくまでも端正に美しく、華麗なところも真珠が光るように瑕なく、さりげない美しさで、後半は、疲れを感じさせないようにやはり清らかさを強調して演奏されないと、「な〜んだ・・。」と思ってしまう。
聴き手は完璧なものを要求してしまうから、演奏家というのは大変な仕事です。
ところでシューベルトは「萎める花」の「花」は何を思い浮かべていたのでしょう。
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