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チョン・ミョンフン氏とマーラー9番 [音楽]

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前回のN響アワーは、チョン・ミョンフン指揮による「マーラー9番」で、テレビでも充分に感動的でした。マーラー9番を生で聴いたのは一度だけで、これもチョン・ミョンフン指揮、東フィルの演奏でした。
マーラー9番は二長調。長調は一般的に明るい雰囲気で、短調はもの悲しい雰囲気というのがありますが、「マーラー9番 ニ長調」ほど哀しみに満ちた曲はないようです。
第4楽章に「死に向かうように」と添えられているように、まぎれもなく「死」をテーマにした曲で、マーラー自身の死を暗示し、またあらゆる死を暗示しているようです。
チョン・ミョンフン指揮の東フィルの演奏を聴いたときは、ちょうど父を亡くしてしばらく経った頃で、曲に聴き入っていると突然父の死を全身で感じ、やはり「マーラー9番」は『死』がテーマなのだ、と見に染みて感じたのでした。
前の職場を辞めたとき、友人がワルターのマーラー9番を贈ってくれ、嬉しかったけど「これで死んじゃうね。ま、2番を聴けば『復活』できるか。」ということで・・。

テレビでは、指揮者の顔をずっと映していたので、コンサートではなかなか見る事ができないチョン・ミョンフン先生の表情を見ることができ、得難い経験でした。テレビでこれだけ感動が伝わればすごくラッキーです。チョン氏は前より少し痩せられたか、と思いました。
池辺晋一郎氏が、ここのフレーズで僕は金縛りにあったような気がした、と言われていましたが、『金縛り』という表現はピッタリです。「この(音の)弱さゆえに緊迫感がどんどん高まっていく」と語られていましたが、マーラーの音楽は爆発と沈静が際だっていて、9番は非常に抑えた表現が特徴で、バイオリンとフルートのかけ合いの美しいこと、コントラバスの響きが美しいこと・・。

マーラーの曲はどれも緊迫感、全身を悲しみに浸されるような所があって、マーラーの人生は多難だったのだろうな、と思うわけです。
ウィーン世紀末、ユダヤ人であったマーラーがウィーンフィルの指揮者として迎えられながらも、結局はウィーンになじめずアメリカに渡ったこと、そこにも居場所がないと感じていたこと・・など、マーラーが表現する世界の絶望は、極限まで深まり、これほどの絶望感の前に、逆に人は救いを感じるのかもしれません。日常がつらければつらいほど、マーラーの悲哀は身近になり、かすかに勇気が湧いてくる。これがマーラーの魅力です。

N響アワーは1楽章と4楽章だけでしたが、FMでは全楽章録音できました。3楽章と4楽章の間のポーズは非常に長く、録音が止まってしまったか、と思った位です。解説者が「チョン・ミョンフン氏は何か祈るような感じでうつむいておられました。」と言ったので、集中を高めていたのだろうなと想像できました。
2月に東フィルでマーラー6番を振ったハーディング氏の終わり方も、聴衆の拍手を許さないような厳しい雰囲気がありました。
マーラーを指揮するということは、一人生を表現するような重みがあるようです。聴く方も完結しますから・・。
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ふくふきママ

こんにちは。マーラーの9番は、特別な曲ですよね。わたくしは1回だけコンサートで聴いたことがありますが、体がかたまってしまいました。そしていつまでも拍手をやめられませんでした。
チョンミュンフンの演奏は、テレビでもすばらしいですが、生で聴かれたこともあるというのは、とてもうらやましいです(^^)

by ふくふきママ (2008-03-24 20:57) 

sachat06

こんにちは。やはり誰にとってもある曲が訴えるもの、というのは同じなのですねぇ・・。マーラー9番のコンサート会場では、皆、身体が固まっているわけですね。不思議です。
チョン先生の指揮は東京で見る機会が多いのでラッキーです。
by sachat06 (2008-03-24 21:07) 

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