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アイルランド紀行/ダブリンの街(2) [旅行記]

ダブリン最初の日、泊まったホテルは清潔だけど、部屋が狭すぎておまけにティポットも置いてないので、宿替えをしました。ロンドンと同様に公園近くに移動しました。このセント・スティーブンス公園はハイドパークには比べられない小ささですが、まあ良しとしないと・・。小さな街なのだから。公園の回りはずらりと美術品。近づいて見たら、それらは絵画ではなくすべて写真なのでした。アイルランドでは写真が盛んなのでしょうか。

   (公園のオブジェ)


日曜日、公園では年配の人たちの楽隊(ブラスバンド)の演奏をしていました。おどろくほど初心者っぽい演奏だったけど、けっこうみんな楽しんでいました。
何よりも喜んでいたのは子供達。曲に合わせて踊っていました。

音楽隊

演奏している曲はと言えば「聖者の行進」とか、これまた今どきビックリのオールドなものばかり。ここは時の流れが止まっているのかしらん。
でもそれに合わせて踊る子供たちはまるで妖精のようでした。

どうやら写真文化らしいダブリンは、公園の中にも巨大な動物写真のパネルがたくさん設置されていました。世界自然保護基金WWF の看板です。アイルランドはあまり自然が破壊されておらず、自然保護に力を入れている国です。
そのうちの一枚のパネルにはビックリしました。この写真、私の田舎の「地獄谷」の温泉に入っている猿ではありませんか。近寄って見るとやはりJigokudani Japan と書かれていました。こんなに遠く離れた外国で見る故郷の写真には、特別な感慨がありました。

巨大なWWFの看板


アイルランド紀行/ダブリンの街 [旅行記]

ダブリン城
(ロンドンからアイルランドへ。)
アイルランドというとジェームス・ジョイスの「ダブリン市民」が頭に浮かんでくるのだけど、読んだのは昔のことでもう記憶にもないくらいです。
ダブリンはこじんまりしたごく普通の街でした。写真中央の塔はすごく高くてとても写真に撮れるようなものではありません。これが街の象徴なのかな? でもこんなに高い必要あるのかなあ、と感じました。
ダブリンの街
ダブリンの街は音楽に溢れている、という言葉もなんだか期待はずれ。音楽にあふれている、と言ったら、辻つじに音楽を奏でている人がいるのかな、と思いますが、そういう雰囲気はありませんでした。8月という観光の時期が良くなかったのかな?
日数もないことだし欲張ってあちこち移動するよりはとダブリンにだけ滞在したのですが、ダブリン中心街はこれといってインパクトがありませんでした。

もちろん、夜パブに行けば、アイルランドの音楽は楽しめるけど、旅行者が感動するようなものではないという感じがします。ダブリンに住んでいればこそ、一日の仕事のあとに楽しめるのがパブでしょう。ましてアルコールがダメな私には、おいしいビールもウィスキーも無用の長物だからどうにもならないのです。おいしさだけはわかるのですが。
パブのカウンター
おいしそうなビール
おいしかったムール貝
数日間滞在してこの街の良さを知るというのは不可能でしょう。
ジェームス・ジョイスの詩を読めばダブリンの景色がちがってみえます。

      たそがれどき、空はアメジスト色から深い深い碧色に変わる。
      ランプのほの白い緑色の光りが通りの木々を照らす。

      古びたピアノが静かに、ゆったりと、そして陽気に
      空気を振るわせている。
      ピアノ弾きは頭を傾け、黄ばんだ鍵盤に身をかがめている。

      ためらいがちな思考、厳かに見開かれた目、そして手が、
      心のおもむくままにさまよい動き、音楽を奏でる。

      たそがれどき、アメジスト色をほのかに残して
      空気はより深い碧色に染まっていく。      (私訳)
      

      


ロンドン紀行/ハイドパークの動物たち [旅行記]



    バラはイギリスの象徴        ハイドパークの番犬

ほとんど見物もしないで昼間何をしていたかというと、ハイドパークを散歩していました。実を言うとロイヤル・アルバートホール以外ではハイドパークがロンドンで一番気に入った場所でした。滞在したホテルはすぐ前がハイドパーク、アルバートホールへも歩いて2分という絶好のロケーションでした。
ここは広々している上私の大好きな鳥や、犬やリス、それに見事な木がたくさんあって飽きません。動物だけでなくそこにいる人間もいろいろな国から来ています。インド人、スペイン人、スイス人、フランス人・・。いろいろな国の人と話ができて楽しいです。
インドの家族と話していて「日本はすごく暑いんですよ。」と言うと「何度あるの?」と聞かれ「35度から40度もあるんです。」と答えると「インドは40度から50度ですよ。」、私「蒸し暑いのですか。」「ものすごく蒸し暑いですよ。」・・・負けました。やはりインドは暑いんだ・・。9月始めまでロンドンにいると言っていましたが、イギリスに避暑にきているお金持ちなのでしょう。あの日本の暑さを思えば確かにここは天国でした。

リスはほんとに落ち着きのない動物で写真はむずかしいです。何かもらえるかと人間に近寄ってくるのですが、とにかくチョロチョロしていて・・・
下はハイドパークの池。たくさんの種類のカモやガン、白鳥がいます。



     優美なオデット姫          2羽の白鳥の子供

ジョギングしている人や犬の散歩をしている人達がたくさんいますがハイドパークは後楽園の14倍の広さなので、すっきりです。犬ものびのび。


  犬も活発でなかなか静止してくれません


   ホシムクドリ?        一緒に遊んだスペインの子供達

こんな公園が住んでいる近くにあれば運動ぎらいの私もジョギングぐらいできそう。みんな走ったり自転車に乗ったりしていました。そう思って運動靴をはいていったのに、足首を捻挫してジョギングはできずじまいでした。



ロンドン紀行/コッツウォルズ地方へ  [旅行記]

こんな家が多い

今日はツアー会社のコッツウォルズ・ツアーに乗り、コッツウォルズ地方とシェークスピアの生地ストラットフォード・アポン・エイヴォンに行きました。
コッツウォルズは以前テレビで紹介していて、交通不便であるがゆえに昔ながらの村が残った美しい地方と聞いて、ここだけは見ようと思っていました。
60ポンド(15000円くらい)とかなり高めだけど、丸一日だし、ランチもアフタヌーンティーも付いていたのでまあまあリーゾナブル、と思います。地下鉄一区間が1000円もするのだから安い方ですね。

日本語・英語のバスだったので当然ながらお客さんも日本人と外国の人半々でした。ガイドさんは英語も日本語もものすごい速さで、そのバイリンガルぶりには驚きました。
さてロンドン市内を出て高速を30分くらい乗って高速道を出ると、もう私の好きな田舎の風景が広がっていました。コッツウォルズというのは地方名で、ツアーはこの地方のいろいろな村を巡っていきます。
最初はバーフォードという中世のままの街。ここにきて小雨だった空が見事青く晴れ上がって、街の美しさを引き立ててくれました。

羊の看板のレストラン

次に立ち寄ったバイブリィという村にもきれいな川が流れマスを養殖しています。Swanというホテルで食べたマス料理は久々のおいしい食事でした。つけ合わせの白パン、くるみパンとバターもおいしく、デザートのアップルパイも絶品でした。写真を撮らなかったのが残念。ヨーロッパのパン(特にフランスパン)が日本のよりはるかにおいしいのはやはり小麦粉のせいでしょうか。


Hotel Swan

昼食後、満ち足りた気分で向かったのは、バートオンザウォーターという所。
ここも川を中心に店やレストランがあり、かなり賑わっていました。子供達はみな川で泳いでいました。

ほんとうにイギリスとしては暑いくらいの天候でした。ここで何と言っても圧巻だったのは、アフターヌーン・ティです。スコーンにつけるクロテッド・バターというのを初めて味わいました。クロテッドバターは普通のバターより脂肪分が多くクリームのようになめらか。特別な地域でしか食べられないと聞いていたので感激でした。写真のふっくらしたクリームのようなバターがそれです。

最後のストラットフォード・アポン・エイヴォン(シェークスピアの生地)はやはりかなりの観光客がいました。シェークスピアの劇を観られるわけではなく、誰々の生家というのも修復されたりしているのがほとんどなので、私はあまり興味がわきません。外観だけで十分です。本屋にはシェークスピアのあらゆる本が並んでいて、何か買おうかと思ったけど、本を読破するのにまた労力がいるなあ、と思いやめました。シェークスピアの戯曲は全く素晴らしいのですが、残念ながら自分の体力と時間を考えてしまいます。

シェークスピア生家

本屋さん

ツアーを終えロンドンにもどったのは7時半(ちょうど12時間ツアー)。実を言うと朝、地下鉄駅ですべってころび足首を捻挫して、半分苦痛をこらえながらの見学だったので無事に終わってやれやれでした。コッツウォルズ地方は車窓から眺める景色が素晴らしいです。バスが止まる所はやはり観光地なので人も多く、こういう地方は逗留してみないと本当の良さがわからないでしょう。


ロンドン紀行/変わりゆく街 [旅行記]

ロンドンお馴染みの風景
ナショナル・ギャラリー前

ロンドンの印象は10数年前とはずいぶん変わってしまった。初めて訪れたヨーロッパの国がイギリスだったから、その時は見るもの聞くもの珍しく、ロンドンの、宮殿やら教会やらの歴史ある建物や高級ブランド店などが立ち並ぶ街並みに、ただただ驚いた。世界中から集めた貴重品の宝庫「大英博物館」の巨大さに目がくらんだし、オックスフォード、ケンブリッジなどの美しい大学の街、通りに豪華に飾られている花、広々とした芝生の庭などなど・・すべてにため息が出た。はじめて西洋を目の当たりにした日本人の心持ちってみなこうでしょう。

3回目に訪れたロンドンは観光客にあふれるただの騒々しい大都会にすぎなかった。今回はPromsのコンサートが目的だったので、特に何かを見物する予定はなかったけど、せっかく来たのだから観光ぐらいしようと思ったら、見たい場所が無いことに気がついた。世界で一番美しいとか世界で一番古いとかいう城や教会、ステンドグラスや橋、建物など、いろいろな国を観光して回った今、特に見たい場所はなく、ロンドンはただの騒々しい大都会にすぎなかった。

絵画ぐらい見ようとナショナル・ギャラリーだけには行ったけど、ラファエロの時代の部屋の中で、こんなに一度にたくさん見ても何になるだろうと、一番好きな印象派の部屋だけを回ることに。スーラ、シスレー、モネを見て心和みそれで十分だった。国立の美術館や博物館というのは英国では無料だから、その時見たいものだけ見る贅沢さはあるわけです。

それにしてもイギリスも訪れる度に変わっていくようだ。15年前とは明らかに違う。15年前は、地下鉄などの駅に案内係がたくさんいて、道を尋ねればいかめしい制服にいかつい顔の案内係の人が、満面に笑みを浮かべて丁寧に教えてくれた。今は案内係はいない。
歩道を渡るときは、人が立っていれば、どの車も必ず止まってくれた。歩行者優先が徹底していることに、さすが紳士淑女の国だ、と感心したものです。

何よりも淋しいのは街中から音楽が消えたこと。初めての旅行で不安な私の心をリラックスさせてくれたのは、ビクトリア駅地下で演奏されていたビートルズの曲「オブラディオブラダ」だった。3,4人の若者の演奏だったけどおそろしくうまかった。イギリスを訪れた人を歓迎するのにこの音楽に勝るものはないでしょう。人々はみな長い長いエスカレーターに乗っている間に、財布からコインを取り出し、下まで降りたときにサッとミュージシャンの前に置かれたギターの箱に投げ入れていく。私もまねをした。お金を払いたいと思うほど上手なミュージシャンをそれから、あちこちで見かけ、地下鉄に乗る時の大きな楽しみになった。彼らはみな演奏の資格をもらっている人達と聞いた。
その音楽家達も姿を消した。今たまに見かけるのは違法を承知で細々やっている人達だけ。

7,8年前に法律が変わったためだ。タバコと同じで、公共の場ではきらいな人の権利を守るために音楽も禁止されたのだ。無機的な地下道に音楽が色取りを添えていたのに、と残念な思いだ。私が感動したものはすべて消えてしまったような感じがします・・。

ポスターだけは変わらない


ロンドン・アイルランド紀行/一杯のスープ [旅行記]

マッシュポテトとバジルのスープ  小丼くらいあります。これにパンが付きます。

ポンドは本当に高かった・・・トホホです。
今回ロンドンに行ったのはProms(音楽祭)のためだったのだけど、本当にポンドは高く円の安さを思い知らされた旅行となりました。たいしておいしくもないただのランチ(ピザと飲み物位で)が1600円以上してしまう。1ポンドが235円(銀行で換えると270円とか)というのは全くなじめない感覚で、普通のメインディッシュ一皿が一番安くて12ポンド以上なので、そこにジュースを付けただけで3500円になって、おまけにサービス料(チップですね)を足すと3900円になってしまうのです。ただの食事に3900円を出すのは私の習慣にはありません。ディナーを(2皿コースでさえ)食べようと思うと、5000円を超えてしまいます。もう食べないでいるしかありません。ところがサンドイッチと飲み物だけ買っても1000円超えるのだから油断できません。

アイルランドはユーロですが、1ユーロ160円で、ポンドよりはいくらか物価も安かったようです。アイルランドで一番安くておいしい食べ物は暖かなスープでした。スープ&ブレッドという組み合わせがどの店にもあって、ボール一杯のこってりしたhomemakingのスープは大変おいしく、つけあわせのパン(1個)と良く合いました。4ユーロ位だったのでそれでも640円なのですが、これが日本で言えば山田うどんとか牛丼かな、と思いました。ちなみにこのスープ&ブレッドは前菜メニューの一つなのですが暖まるし(向こうは寒いからね)お腹はけっこういっぱいになるのです。財布の中身が気になる人には心強い味方。
そう言えば昔から「一杯のスープ」に関する話がたくさんあるではありませんか。

バスツァーで一緒になった人は(オーストラリアのアボリジニの人で、英国で一年働いた後、国に帰る前の旅行でアイルランドに来たと言っていました)昼食は飲み物を買っただけで皆と一緒にレストランでは食べませんでした。一日一食しか食べないのだそうです。確かに一皿の量が多すぎ、胃の負担を考えると一日、1,2食でちょうどいいのかなと思いましたが、財布のことを考えても、そう思ってしまいます。

アイルランドから帰るとき、乗り継ぎで再びヒースロー空港に入りました。7ユーロ持っていたのでオレンジジュースとサンドイッチとガムを買おうとしたら、5.15ポンドなので10ユーロないと足りない、と言われ、すっかり買う意欲をなくしてしまった私・・・。(ユーロのコインはポンド圏では使えないようです。)それでも5ユーロでただのサンドイッチとジュースが買えないとは。クレジットカードで買うほどの気力もなくし品物を返してしまいました。
経済オンチの私には為替相場がこんなに変わる仕組みとか、円安だが誰にどういう影響をおよぼすのか(輸出には有利ですね)、などは良くわからないのですが、エンゲル係数が高いということは如何に大変なことかだけは実感した旅でした。


ロンドン紀行/ルツェルン祝祭管弦楽団・マーラー3番 [旅行記]

(酷暑の日本から、まるで晩秋の気候のロンドンへ)
ホール外観
ホール中
Proms(BBCプロムナード・コンサート、毎年8月から9月にかけて8週間におよぶ音楽の祭典)の模様を。

ロイヤル・アルバート・ホールはハイドパークの前にある巨大な円形劇場。
ステージを囲む半円形の座席は6階までもある。6000人も収容する巨大で本当にきらびやかなホールだ。ビッシリ埋まった座席を見回すと驚いたことに、ステージの真ん前のフロアーは皆立っていた。一番前が立ち見席なのだ。後から知ったことだがフロアーの真ん中には小さな噴水が泉に見立てつくられていて灯りが点っていた。今までにこんなにたくさんの聴衆を見たのは初めてだった。Promsの歴史は100年以上、庶民がクラシック音楽を気楽に楽しめるように始められたコンサートだ。ステージの後ろ中央、高い所にはこの音楽祭の第1回の指揮者でありプロムスの立役者のヘンリー・ウッドの胸像が舞台と観客席を睥睨するかのようにライトアップされ輝いている。

本日はルツェルン祝祭管弦楽団による、マーラー3番。席に着いただけで演奏前の聴衆の期待感、高揚感が感じられ私もわくわくしてくる。
そしてルツェルン祝祭管弦楽団の登場。オーボエ奏者の吉井瑞穂さんの顔も確認できた。指揮者クラウディオ・アバドは熱狂的に迎えられ、演奏前から「ブラボー」の声が飛ぶ。アバドはロンドン交響楽団の首席指揮者および音楽監督を務めていただけあってロンドンでの人気はさすがです。

マーラー3番の第一楽章、ホルンの力強い響きで第一主題が奏でられた瞬間、はるばるロンドンまでやって来た感慨がわく。この大ホールは響きがすばらしく良く、ルツェルン祝祭管弦楽団ののびやかな演奏に身体中が包み込まれるようだ。第一楽章(牧神が目覚める、夏がやってくる)、第二楽章(牧場の花たちが私に語ること)、第三楽章(森の動物たちが私に語ること)、ここから歌が入る・・第四楽章(人間が私に語ること)の美しいメゾソプラノ、第五楽章(天使が私に語ること)では少年合唱団の清々しいボーイソプラノが響き、メゾソプラノのソリストと美しいかけ合い、さらに女声合唱が加わり華やかさと荘厳さが混じり合い、最終の第六楽章(愛が私に語ること)へと続く。夢のような世界だった。この100分間の演奏が終わると会場は拍手喝采とドーッとうなるような人々の声に包まれた。「ブラボー」なんて単語ではないのです。拍手だけでなく床をドンドン踏みならし、アンコールをする聴衆・・・感動の一時でした。

それにしてもステージ前のフロアーに立っている人達が一番熱狂しているように見えた。考えてみれば2時間近い大曲を、休憩もなしに、あんな風に立っているなんて、よほどのファンでなければできないだろう。かなり年配の人達も多かった。いくらファンだとしても100分もじっと真っ直ぐに立っているなんて、私にはできそうにない。体力がちがうのだろうか。アルバートホール前の長蛇の列はこの立ち見席を買う人達だったそうだ。

また6階も立ち見席だ。(いわゆる天井桟敷)後ろの方はすいている場合は寝そべって演奏を聴いている人もいる。1階フロアーも6階の立ち見席も当日券売りのみで、5ポンド(1100円ほどだそうだ。そしてここの6階で聞く音はまた良く響いていた。(別の日に試してみた。)こんなに楽しいホールが日本にあればいいのだが。

マーラーはもうどれが一番好きな曲がわからなくなってしまう。聞いているその曲があまりにも印象深いためだ。
一応、写真は撮らないで下さい、とアナウンスは入るが、演奏終了後は会場中写真を撮る人がいて、こうなるともう撮らなきゃ損という感じで、私も撮ってしまいました。

少年合唱団
6階から見る
ステージ後ろ青い光の中央上に輝いているのがヘンリ胸像です。


スイスへの旅(終) リギ山 [旅行記]

(旅行記というものは、他人の目からはただの自慢話にしか思えないでしょうが、これは自分の記録でもあるので悪しからず。)
絵葉書のようなリギ山の眺め

子供の頃、なぜか「スイス」という国は特別な感じがしてた。「永世中立国」という言葉の響きも「すごいな〜。いいな〜。」と感じたし、なんと言っても「アルプスの少女ハイジ」の故郷だから、山に囲まれた夢のような自然、牧場、が広がっているのだろうなあ、と思っていた。実際に行ってみたら、イメージをはるかに超えた美しい景色のオンパレードで、ただただ感動した。
スイスは重軍装備を持ち徴兵制があるが、言語が単一ではない。公用語はドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つ。国名を書くときは4種類すべての言語で書き、スペースが足りない場合はラテン語を使うことになっている。この他に共通語として英語が使われる。
小さな国なのに地域によって使われる言葉が違う、ということはスイスという国の大きな特異性だと思う。1814年のウィーン会議で「永世中立国」と承認され2世紀近くそれはしっかり守られている。

スイス最終目的地のルツェルンでは、夜はルツェルン音楽祭でコンサートを楽しんだけど、昼間はもちろん山のハイキングを楽しめた。ルツェルン湖は大きな湖で、湖を取り囲む山々へ通じる数カ所の船着き場があり、定期便の船が目的地まで運んでくれる。
船に乗って、山の麓まで行き、ロープウェイに乗り、例によって労せず、リギ山へ登った。船の中では偶然、前夜のコンサートに出演していたクリーブランド・オーケストラの団員の人達と一緒になり話ができたのはラッキーだった。。チェロ、ビオラ、クラリネットの奏者・・・。もう、本番が終わったのでこの日だけ少し観光してアメリカに帰るのだそうだ。簡単な日本語を話すのでおどろいたけど、クリーヴランド・オーケストラには日本人の団員が何人もいるからと言っていた。アメリカのオーケストラは国際色豊かです。

リギ山の風景は本当にハイジの世界。遠くに真っ白なアルプスを臨み、緑の牧草地には牛の群れがのんびりと草を食べている。カウベルのガランガランという音が響く。牛も山羊も首に鈴をつけていて、山陰にいても見つけられるようになっているのだろう。大自然の中にいるから、家畜の汚れが全くなく、牛さえも絵ハガキのよう。群れの中の一番大きな牛が革靴に興味を持って、しきりに臭いをかぎはじめた。怒ったみたい。牛革の靴をはいていたのがまずかった・・牛に悪いことをしてしまいました。
空気のきれいさは、しばらくスイスにいると当たり前になってしまうが、とにかく澄み切っている。だから遠くの山々がくっきり見えるのだ。

スイスは消費税が高いため、物価がとても高い。登山電車など交通費も高いし食料品も高い。でもこんなにきれいな風景を見られるのだから元は取れてしまう。
今回の旅はマッターホルン以外はどこの山も晴れ渡って素晴らしい眺めだったけど、せっかく登山電車で山に行ったのに、景色が雲の中で見えないこともしょっちゅうあるそうだ。山の天気は変わりやすいので、曇っていても1,2時間は待ってみること。(あまりにビッシリの日程だと待つこともむずかしいけど。)登山電車賃は高いから、今日見えなかったから次の日もう一度切符を買うというのはちょっと・・・。私はとても運が良かったのでしょう。
でも、終にマッターホルンは拝むことはできなかった。できればもう一度挑戦(見るのに挑戦)しようと思っています。

  
クリーブランドの団員達   幻想的なルツェルン湖    革靴を気にする牛


スイスへの旅(5) ルツェルン音楽祭 [旅行記]

(今回の旅行の目的のもう一つのメインだったルツェルン音楽祭の話)
カペル橋

グリンデルワルト(ホテルの窓からはアイガー北壁の頂上が朝日を浴びて真っ白に光っていた)を後にして、再びインターラーケン駅を経由、最終目的地のルツェルンへ向かった。
ルツェルンは、今までの町とちがい、中世の面影を持ちながらも都会的な賑わいがある街で、駅前には川が流れている。この川には世界で最も美しいといわれる木造のカペル橋がかかっていて、川では白鳥が静かに優美に泳いでる。

ルツェルン音楽祭でのコンサート第一夜。オーケストラはクリーヴランド管弦楽団。指揮者はフランツ・ウェルザー・メスト(小澤征爾の後任として次期ウィーン国立歌劇場の音楽監督に決まったと最近発表された。)曲目は、ドビュッシーの「戯れ」とマーラー交響曲7番だった。素晴らしい自然の風景をたっぷり見た後の音楽祭。なんという贅沢さ・・、と思う。
第二夜はクラウディオ・アバド指揮によるマーラーチェンバーオーケストラの演奏で、曲目はヒンデミットのコンチェルトとベートーヴェン交響曲1番だった。
アバドはルツェルン祝祭管弦楽団の音楽監督、そしてこのルツェルン音楽祭の音楽監督でもある。さすがにアバドの人気は絶大で演奏後、大喝采を浴び、2階のバルコニー席の観客の女性達から花がアバドにたくさん撒かれた。粋な光景・・でした。日本のコンサートではあり得ない光景。

ルツェルン音楽祭の歴史は古く、フルトヴェングラーの時代からあった。ルツェルン祝祭管弦楽団は別として、スイスのオーケストラってあまり聞かないけど、ニコレ、エマニュエル・パユやフルーリィなどすごいフルーティストが出ている国だ。ピアニストのアルゲリッチやデュトワの活動の拠点でもある。
ヨーロッパはコンサートホールや劇場の回りの雰囲気がたいてい洗練されているのだが、ルツェルン祝祭劇場はルツェルン湖のほとりにあって、夕闇にホールの明かりが魅惑的に映え、演奏前、演奏後の散歩もとても良かった。やっぱりこうでなくちゃ・・。

ルツェルン祝祭劇場
湖の反対側から祝祭劇場を見る


スイスへの旅(4)ユングフラウヨッホ [旅行記]

シュピッツの船着き場
グリンデルワルトはアイガーやユングフラウヨッホの拠点の小さな町。ツェルマットから再び氷河特急に乗ってブリークまで、そこからICでシュピッツへ。シュピッツには日本の野尻湖を大きくしたような美しい湖がある。(これは反対ですね。野尻湖が日本のスイスと呼ばれているのです。)ここからは湖船に乗ってインターラーケンまで行き、電車でその日の目的地であるグリンデンワルトまで行った。いろいろ乗り継いだが、なにしろどこを見ても美しいので疲れることはない。ただ澄み切った空気を吸っていい気持ちでいるだけだ。ところでこの町では日本人をたくさん見かけた。日本人はみんなここに来るのか・・・。

翌朝、ロープウェイと登山列車でメンリッヒェン、クライネシャイデックを経てユングフラヨッホへ向かった。スイスという国はどんな高い山にも、登山列車とロープウェイを通しているのだ。だからお年寄りでも山の頂上近くまで行けてしまう。そのくせ、自然破壊がなされた、という気配は全く感じられない。すごい事だと思う。
この日、山はやはり雲の中だったが、ロープウェイの下には牧草地が広がり、大きな鈴をつけた牛の群れが見える。心浮き立つ風景だった。

ロープウェイからの風景

この行程の後ろ半分はトンネルの中だった。どうしてこんな所に登山電車を引けたのか驚きだ。最大勾配25度という所もあってただただびっくり。しかもこのトンネルはまだ日本が汽車の時代、1895年から16年かけて完成されたという。最終地点ユングフラウヨッホ駅は標高3454m。ヨーロッパの鉄道の最高地点。降りると立派な建物と展望台があった。展望台に出て見ると霧(雲?)で何も見えない。しかも氷つくような寒さだ。一時間じっと待った。
と、まるで少しずつカーテンを開くように突然、霧が切れ、どんどん風に吹き払われ、息を呑むような光景が現れた。これがユングフラウヨッホ・・氷河のような雪に埋もれて。
雲が晴れて行く
晴れた!
犬ソリで遊ぶ人達

ここの展望台は山の上とは思えない豪華さで驚いたが、ここで食べたのは何故か7.5フランのカップラーメンだった。こんなものが置いてあるのはよほど日本人が多いと見える。郵便局もあって、ここから日本にハガキを出した。設備は至れり尽くせり。
氷河をくりぬいた通路

帰りはまたのんびりハイキングを楽しんだ。後方のユングフラウヨッホ、真っ白な三角形のメンヒを眺めながら歩く。時間が経つのを忘れ、最終の登山列車に乗り遅れそうになってヒヤッとした。もし乗り遅れたらどうすれば良かったのだろう。最終電車に途中から乗る予定の人は駅までかかる時間を考えてくれぐれも注意を。明るいし、素晴らしい眺めに心奪われていると大変です。
いろいろな種類の山羊


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