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桜くらべ [diary]

家の近辺は桜は満開で、少しずつ散り始めた。同じ場所の桜でもひとかたまりごとに、開花の早い遅いがあって、満開の所もあれば葉桜という所もある。
桜の咲く季節が苦手という人はけっこう多いようで、この間も70代の方の
「毎年、桜が咲く頃、みなが桜、桜と言っているとき、気分が沈むのです。」「あ、私もそうなんです。」という会話が聞こえてきた。年配の人がみな桜を喜ぶわけではないのだ、と思った。
花見にクリスマスに正月、これが世間が一つの方向を向いていることが強調される三つの行事。こんなときに不愉快になるのは、テレビなどでしつこく同じことを繰り返すからかもしれない。何も聞こえてこなければもっと人の心は自由になるのかも知れない。
お祭り騒ぎがうっとうしい私も花見の頃は苦手だが、桜が咲いていればついそっちに目が向くのは、緑の少ない灰色っぽい町の風景に、桜がある場所だけが、白々と明るい色があふれているせいだろう。一週間だけその場所は華やぐのだ。
今年は静かな場所で桜を見ることができた。ひっそりと人影も少ない場所での花見はやはり感嘆する。そして、この美しさはたった一週間ほどだということが、人生の無常を強調して寂しい気持ちにもなる。子供の頃、純粋に花の美しさに喜んでいられたのは、まだ先の人生がはるか続いていたからなのだろう。

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草加市の川の両側に1kmほど続く桜並木。川にはカモがいて岸辺には草がはえ、散歩する人やジョギングする人はほどよい多さで、特に夕方、居心地がいい。4月3日

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上尾市伊奈町の桜。広々した場所に立派な大きな桜の木が花のトンネルをつくっている。これだけ大きな桜の木の下では人間はちっぽけに見える。花びらの絨毯の上で子供が走り回っていた。4月4日

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家の前の小さな公園の桜。満開なのに、土曜日の暖かい日というのに、誰もいない。桜だけがけなげに満開だ。4月5日
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北信濃〜春はまだ・・ [diary]

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北信濃の春はまだ、でした。
関東では桜が咲きほこった3月31日〜4月2日に長野に行きました。三好サービスエリアは、雨の中、桜と桃の花が風情を漂わせていましたが、上信越道を軽井沢へとトンネルを抜けると目の前は、粉雪をかぶった風景。

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さらに北に向かい飯山市まで行くと、まだまだ「春は名のみの・・」の景色でした。
でも雪がところどころ溶け、黒々とした地面とうっすら緑色の草が見え、春が近いことを告げています。雪が真っ白に降り積もった銀世界は美しいけれど、雪解けの白と黒がぐちゃぐちゃの風景はきたないな、と子供の頃思っていましたが、今見たら、きたないどころか、活き活きとした季節の躍動感を感じました。それにしても31日の夜、ゴーゴー、ガタンガタンという音に眠れず、外を見たら、吹雪でした。ガタンガタンという音は屋根から雪がぶつかりながら落ちてくる音で、春から真冬に一気に突入した感じです。

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翌日は雲の合間に陽がさし、明るくなったかと思うとみぞれ、あられが降るという荒れ模様。「春の嵐」というのでしょう。
あと10日間もすれば、しぶとく残っていた雪も消えてしまい、高くそびえる山々だけに白い輝きを残し、タンポポ、れんげ、桜や桃や菜の花、梨の花、がいっせいに咲出して、1年で一番美しい季節となるでしょう。長い冬が終わればこそ、の嬉しさ、美しさです。

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IMGP4714.jpg雪解け水の川
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梅が咲いた [diary]

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(今日は写真だけ)3月5日に衆議院会館で野党4党による「後期高齢者医療
制度の廃止を求める」緊急集会に参加しました。
その帰り道、天気が良かったので、日比谷公園を歩きました。

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梅が咲いていました。日比谷公園の梅は初めて見ましたが見事でした。

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3色すみれも陽を浴びて咲きほこり、

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猫はのんびり。

風もなく、空も真っ青に晴れ渡り、
東京で、こんな空が見れるとは思いませんでした。

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ブリューゲルの「雪中の狩人」 [diary]


雪が降る季節になると、16世紀のオランダの画家ブリューゲルの「雪中の狩人」という絵を思い出します。ブリューゲル家は画家一族で、長男は地獄の絵、次男は花の絵が有名なんだそうです。
ピーテル・ブリューゲル(父)は「怠け者の天国」「バベルの塔」など、とてもシニカルなユーモラスな絵を描いていますが、息子の花のヤン・ピーテルの作品もシニカルで現実的な作風で『青い花瓶の中の花束』には、花束だけでなく蝶や小さな虫まで描き込まれていて、見ていると飽きません。
私の好きなピーテル・ブリューゲル(父)の「雪中の狩人」という作品は、遠景に小さく遊ぶ子らの姿が描かれ、雪の中のいろいろな色合い、人々の生活が、すべてこの絵の中にあるようで、寒さまで伝わってきます。ウィーン美術史美術館でこれを見たときはとても感動しました。
この寒々しい灰色の景色は、500年たった今も同じだなあと思います。

さて関東にもとうとう雪が降りました。
北国の寒さとはちがうので、びしょびしょと道路がシャーッベット状の雪でおおわれ、けっこう歩くのが大変でした。そこで長靴の出番です。5年も前に田舎で買った長靴ですが、1年に1回か2回しか出番がありません。

普通のゴム長靴ではなく表面と内側がバックスキン風になっていて、暖かくちょっとしゃれているのです。ブーツだと地面の雪が浸みる心配もあるけどこれはゴム長なので、完璧です。都会では滑ってころんでケガをする人が多いようですが、靴が雪で滑らないように、ということを前提に作られていないので、雪には弱いのでしょう。
以前、ブーツを買ったら雪の日にものすごく滑り、使いものになりませんでした。裏を見たらつるつる。それ以来、こっちで靴を買うときは必ず靴底を確認しています。
今日はずっと雪が降り続いていたので、はじめのうちは喜んで雪遊びをしていた子供らも、みんな途中から家にこもったようです。
一日中寒々とした灰色の世界でした。

遊ぶ子供ら
(ブリューゲルの「雪中の狩人」と色合いがよく似ています。)


迷信 [diary]

台所の窓からの風景
ガス台が壊れたので買い替えるはめになり、片付けついでに台所の壁や換気扇の掃除をしました。ガスを付けっぱなしで他の事に夢中になって度々鍋をこがすので、IHクッキング・ヒーターにしようかと考えていました。そう思っているうちに壊れてしまい時間の猶予はなくまたしばらくガスを使うことになりました。

ところでクッキング・ヒーターは、ガスに比べ清潔で、しかもCO2を出さないすぐれもの、というイメージですが、実は電力を熱として使うのは非常に無駄が多いのだそうです。火力発電で熱を電気に換えるときの熱効率は41%で、それをまた熱にもどすため、全体としてエネルギーのかなりの無駄使いになるというのです。何が環境に良いのか見きわめるのは、素人にはとてもむずかしいです。商品にエコとかついていると、それだけで他の物よりいいと思ってしまうし、ちょっと前にマイナスイオンという言葉も流行りました。よくわからない言葉を横文字で使われると、何か良い物にちがいないと簡単に信じてしまうのが人間ですね。スーパーできれいにパックされているもの、名の知れたものなら、安心と思ってしまうのも無理はない話です。

間違ったことを簡単に信じてしまう態度は、天動説を信じていた頃の人達とたいして変わらないのじゃないかと思います。水を入れた瓶の外側に美しい言葉を書くと美しい結晶ができるとか、これは普通は「どうかしているんじゃないの」と思うけど、信じた人もたくさんいた(今でもいる)ようです。スパランツァーニだったら激怒しているでしょうよ。

さて、換気扇を掃除して思ったのは、こんなに油を使っていたのかということです。なるべく使わないようにしていますが、油やバターっておいしいんですよね。台所掃除をこまめにやらないのが問題なのですが、この不純物は自分の生活から滲み出たものという気がして(実際そうなのですが)、我ながらウンザリしました。生活の見直ししないと・・。もう油は極力使いません。

お茶で一息


快適に生きる方法 [diary]

幸せというのは、なかなか手に入るものではなさそうだけど、せめて快適に過ごしたいものです。世の中ここまでひどくなると快適に過ごすだけでもかなりむずかしい。
どうひどいかって、モラル、道徳が地に墜ちて拝金主義が堂々とまかり通り、福祉社会は崩れ始め、格差社会が定着した。毎日のように凶悪事件が起こる、自然破壊がどんどん進んでいるし(家の回りの畑はどんどん宅地に変貌)、地球環境が変化し異常気象が多くなった、平和までも脅かされている(なしくずしに憲法9条がなくなりそう)、といった具合で、とてもじゃないけど神経が持たない。

こんな世で快適に生きていく方法はあるだろうか、と考えてみた。
まずはなるべくテレビを見ない、ニュースを見ず新聞もできるだけ読まない。
これが第一の防御。つまりたれ流しされている情報をシャットアウトする。
次に都会、人混みには行かない。知人、友人にも会わないようにする。どうでもいい世事を聞かされたり、社会問題の話なんかが出てきたりしそうだから、人に会うのを避けて身を守る。
運動は少しはしないとかえって身体の調子が悪くなるので、家の中でストレッチなどをする。歩く機械があると外に出ずにすむ。
食べ物は、運動しないのだから小食にし、野菜中心に美味しいものをつくる。

本はかけがいのない友だ。ただし時間は貴重なので本を厳選する。図書館でたくさん借りて、本当に面白いと感じたものだけを読むようにする。
そして好きな音楽を聴く。最近FMラジオがとても快適なことに気がついた。音がきれいだし、クラシック番組はかなりいい。CDを買わなくてもただで聞けてしまう。すごく得した気分になる。
林か森の中に住むことが理想だが、この場所選びがむずかしい。不便すぎても困るのである。良い場所がみつかるまでは旅行をして歩くことに・・。
このくらいかな、今思いつくのは・・。
あ、それから動物はいたほうがいいなあ。あの汚れなさは絶対に必要です。


1年のはじまり・・ [diary]

ウィーン楽友協会
(今年も良い音楽が聴けるようこの写真をあげました。)
初詣というものを私はしない。両親に付き合って行った事はあるけど、願い事というのができない。願うって何を? 自分の家族を思い浮かべてみる。家族のそのまた家族のことも考えてみる。そして自分の家族だけの願い事なんて虫がいい感じがしてくる。かといって、人類の平和を、とか自然保護を祈る、なんて、何者でもないわたしが願ったら何だか変だ。というように、願い事がうまくできないので初詣はしないようにしている。

今日は絨毯を洗うという大仕事で始まった。2畳ほどの大きさだからと気楽に考えていたら、ジュータンは厚く簡単に降り曲がるようなものではなかった。無理矢理に狭い風呂場でごしごし洗って、さてどうしよう。水で重くなったジュータンは持ち上がらない。仕方なく、床がぬれるのもかまわずにベランダまでなんとか引きずっていった。そして最難関。ベランダの手すりの1.3mまでジュータンが持ち上がらない。端っこだけかかれば、そのまま斜めに干すことができるのだが、この1.3mまで持ち上げることができない。100kg位でもあるのかしらと思いつつ、火事場のナントカと言うではないか、と渾身の力を出して持ち上げた。きっと明日はどこか痛くなっているでしょう。

昔から掃除は年内に済ませる、年明けにやると「福」が逃げる、とか言われているが私はそんなことかまったことがない。やりたい時にやる。めったにやりたい気分になどならないのだからやりたくなった時を逃していられない。元旦みたいに人々が正月を楽しんでいるときにかぎって掃除したくなる。午後はフルートの練習(吹き初め)をして、夕方暗い道をジョギングまでした。(誰もいなくてすごく快適でした。)なんだか我ながらがんばっている。

夜になってテレビでニューイヤー・コンサートを見た。今年の顔はジョルジュ・プレートル氏。もう80才を超えているそうだ。毎年なんとなく見ているけど、どうしてシュトラウスの音楽ってみんな同じで、極楽とんぼの感じがするのだろう。ニューイヤー・コンサートと言うと世界でも大きなイヴェントという感じで、テレビでももったいつけて放映しているけど、私は本当はあまりシュトラウスは好きではない。でも、シュトラウスこそウィーン気質というものではないだろうか。あの似たような軽いワルツやポルカを心から楽しめるのがきっとオーストリア人なのだ。ウィーンでは、馬のショーでもワルツやっていたもの。
ニューイヤー・コンサートのときばかりはウィーンが世界に君臨しているなあ、と思う。

馬車が似合うウィーンの街
楽友協会の床
テレビでは華やかに見えるけど本当は古い、すり減った床のホールです。


猫と大掃除の話 [diary]

猫が爪を立てるのでうちのふすまはボロボロ。「猫やつれ」というそうな。
もう大人になったので大丈夫だろう、ということでふすま貼りをやった。
はじめてのふすま貼りやっぱりむずかしい。狭い場所でやるものだから、サイズに合わせて切るのが大変で、ふすまに手や足をついて何カ所かよけい穴を開けてしまって。きれいに貼るのがこれまたとてもむずかしいのです。
猫は人が集中しているものに興味を持つので、私がふすま貼りに悪戦苦闘しているのをジッと見ています。障子は前回は張り替えたとたんバリバリッと破かれてしまいそのままにしてあった所の部分の補修をしました。
家の掃除は大変ですが、その分猫は癒しの力を持っているのです。人の怒ったり、悲しんだりという感情に心配げに反応します。(以心伝心の力が備わっているようで。)鍋を焦がしたときも、ちゃんと鳴いて知らせた。どんなに足音を立てないように帰っても玄関で待っている。賢いのです。
夜寝る時間になるとはしゃいで二匹で家の中を走り回るのは人間の子供に似ています。猫の追いかけごっこはすごいスピードで、寝ているわたしの腹の上をかまわず思い切りジャンプしていく。そして大騒ぎしたあとは満足してよく眠る。悔しいほどよく眠るのです。
今年は15年ぶりにコタツというものを作ったら、猫どもは大変気に入って、コタツのスイッチを入れるのをニャーンと鳴いて催促するようになりました。
テレビには無関心だけど、「ダーウィンが来た」という番組だけは興味が湧くようで、くいいるように鳥や魚や虫の動きを見ています。

茶トラはもう15才、白黒は4才、二匹ともオスでときどきケンカするけど、仲良く寄り添っているときもあり、一匹の写真を撮ろうとすると、もう一匹も必ずカメラの前にくるので写真はいつも二匹一緒になります。(ライバル意識?)
掃除もだいぶできたけど、ソファーのぼろぼろはどうしたものだろう。ずっと使っていたので捨てがたいし、新しいのに替えてもすぐにぼろぼろにされるだろう。ずっと困ったまま何年も経っています。


この超然とした顔つき、かないません。


冬の気配 [diary]


信濃はおだやかな気候でした。11月末に雪がたくさん降ったので今年の冬はどうなるのかと思っていたけど、昨日まで山の上に残っていた雪も今日は消えてしまいました。
暖かくて何より。おととしの80年ぶりの雪は例外で、私が子どもの頃とは比べられない位、市街地の雪は減っている。何せ、学校に登校するのを途中で断念するほどの雪が年に何回か降っていた。長靴でも10メートルしか進めなかった。こういうときは学校も特別に休みになるのでとても嬉しかった。高校なんか電車通学だったから、たいした雪でなくても休校になったりしてすご〜く嬉しかった。問題は駅まで凍えながら歩いてみないと電車が不通かどうかわからなかったこと・・。
雪が凍って道はつるつるになって、こけつまろびつしながら学校に通ったものです。特に高校へ行く坂道はひどかった。用心して歩いても絶対にころんでしまうから、毎日その痛さが恐怖になったくらい。誰かの後を見ながら歩き、前の人がころぶと、そこは危ないとわかった。凍った道でころぶのはほんとうにつらい。
小学生の頃は道路の雪の上で竹スキー(竹を半分に割って先を曲げただけのもの)で遊べた。そのうち「登下校のときは竹スキー禁止」という規則が学校で決まった。「体育館の周りに近づかないこと」という決まりもあった。
体育館の屋根に、1mもあるような長いつららができるためでした。だから子どもにとっては冬はかなり特別なものでしたね。校則まで変わるのだから。
同じ地域でも、今の子どもはそういう経験がない、とは不思議なものです。どんどん暖冬になってきている。昔は家の前でかまくら作ったり、雪ですべり台が作れたのだから。

関係ないけど関東に来て驚いたこと。誰も長靴をはかない・・。雨だというのに。そりゃ、降っていた雨が上がってしまった時は、長靴で帰るのはかなりうっとうしいものですが、雨のときは長靴でしょ。どうしてはかないのだろう?


オナガガモ [diary]

家の近所の貯水池に毎年やってくるカモたち。
オナガガモは首が長く白く、尾がぴんと立ってカモの中でも特に優美です。
この貯水池は流れているわけではないので、水が濁っていて、青藻がたくさん生えていて、とてもきれいとは言いがたい池です。

それでも春になると蓮が生い茂り、しばらくすると白と紅の見事な蓮の花が咲きます。花を見ると、つい「男はつらいよ」の寅さんの歌を思い出します。
なるほど、こんなにきたない池にきれいな蓮の花が咲くのはとても不思議。

秋になるとこうしてカモがやってきてここで冬を過ごすのです。こんなきたない水の中のえさを食べて生きられるのも不思議です。
パンくずをあげる人がいるのか、カモたちは人の姿を見かけるとまっしぐらに寄ってきます。
それにしても最近この周辺の川ではカモの種類がぐんと減りました。
カルガモはどこにもいて、その次に多いのがオナガガモです。
コガモ、ヒドリガモ、キンクロハジロ、ハシビロガモ、最近とんと見かけなくなりました。それまでも稀だった一番美しい羽根の色をして警戒心が強いマガモは、なおのことお目にかかれません。

この辺の川に来なくなっただけで別のもっと良い場所を探し当てたのか、それとも絶対数が減ってしまったのか・・・気になっています。


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