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秋深し・・ [diary]

IMGP6027.jpg雨の中の紅葉
いつの間にか11月も後半に・・。
雨の紅葉は風情がありますが、写真ではどうもその味わいが出せません。空の色が白っぽくなってしまうのです。遠くの霧にかすむ山も写真には写らないし・・。
写真は11月初旬、長野県飯山市の、日本では貴重なブナ林がある場所。ブナは早々と葉を落とし、シルバーグレイのような幹がまたきれいなのです。

さて今週は天気が良く、日中の気持ちよさは最高でした。もう北国では初雪のニュースも聞かれましたが、関東地方の晩秋と冬は1年で一番いい季節と言えるでしょう。なぜか空も澄みわたって青く、銀杏の黄色や紅葉の赤がとても映えるのです。しかも陽差しはやわらかくあたたかい。
埼玉の自宅のマンションはやっと改修工事が終わって、繭の中から外に出ました。
秋の陽がぽかぽかと気持ちよく、布団も2ヶ月半ぶりに干せたし、猫たちはすっきりしたベランダでひなたぼっこを楽しめるようになったし、この一週間の晴天が恵みのよう。
「いい日だなあ・・。」としみじみ思うこの頃です。

IMGP6110.jpg猫も満足

日だまりの中にいると、いくら大好きな北欧も秋や冬はちょっとつらいかなあ、と想像します。高緯度のせいですごく陽が短くなり、凍てつく夜が果てしなく長い。
午後の2時過ぎには早くも暗くなる北欧の人達は、友人とはお互いの家に招いたり招かれたりで過ごす習慣で、家の中はいつも居心地がよいようにしておくそうです。
日本のように友人と会うのに外のレストランを使うのは少ないと聞きました。日本の場合せまい住宅事情もあってなかなか人を招くことはむずかしいようです。何かのひょうしに「じゃ、ちょっと家に寄って。」と客を招きいれる人がたまにいると、すごく感心、尊敬してしまいます。
家の中をきれいに保つというのは大変なことだ、と最近とみに感じています。

狭いのにモノが多すぎるのが最大の問題で、これはもうモノを捨てるしかありません。そして新しいモノを買わないこと。(このライフスタイル景気対策には逆行しますが。)
以前はいわゆるウィンドーショッピングなどもしたけれど今はほとんど食料品店以外のお店には行かなくなりました。どうせ買わないのだから見る気にもならなくなりました。

なかなか処分できないのが本。しぼるのがむずかしくて・・。

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ポテトサラダ [diary]

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私の料理は非常にムラがあり、気に入ると頻繁に作って食べ続ける癖がある。
飽きると、まったく作らなくなってしまい、そういう食べ物があることすら忘れてしまっている。
友人が「今日はポテトサラダを作った」と言ったのを聞いて急にポテトサラダが食べたくなり、何年ぶりかで作った。
ポテトサラダはスーパーのお総菜売り場に必ず並んでいるが、あれは全然おいしいと思ったことがない。それなのに必ず売り場に並んでいるということは、あのポテトサラダは人気商品なのだろう。

お総菜売り場は、デパートなんかだと、種類も多く、手が込んだおいしそうなもの(値段も高め)がたくさん並んでいるが、買ってみるとたいしておいしくはない。何がちがうのかよくわからないが味において家庭料理とは決定的に違う何かがある。

本来食べ物はおいしいものが少々あればいい方で、テーブルにあれやこれやおかずが並ぶのは、見た目はいいが、実際はおいしさが消されてしまうような気がする。私の父は「おかずが多いとご飯がまずくなる」とよく言っていたが、ご飯と味噌汁をおいしいと思う人なら、おかずはシンプルなほうがいいという気持ち、同じではないかしら。

ポテトサラダはジャガイモをゆでてつぶすのがめんどうな気がしていたけど、意外と簡単だったので立て続けに2度も作った。材料で心配なのは中に入っているハムぐらいかな。
生ものは当然ながら、できあいのものなど、中に何が入っているかわからないのが昨今である。報道されないだけで、知らずに有害物質を含むものを食べているということはおおいにありうる。
最近はスーパーで「無添加」とか「有機栽培」とかの表示を見ても、ほとんど信用しなくなった。買わないですませるわけにいかないから買っているだけだ。

ところでジャガイモ料理は世界各地にある けど、日本で食べるポテトサラダの本家はどこなんだろう。アメリカかなあ。アメリカの友人が久しぶりに里帰りしたときの晩餐の写真を見せてくれたことがあった。写真には、ホットドッグとこのポテトサラダが写っていた。他には何にもなかった。「これが私の一番の好物だから」と彼女言っていたが、私はとてもびっくりした。あまりに子供じみた嗜好のように思えて・・。

でもこうしてたっぷりポテトサラダを作ってみたら、十分にご馳走だと思った。
ジャガイモ料理ではスイスのラクレットがとてもおいしい。これはジャガイモをチーズにからめて焼いたような料理。チーズを好きな人はやみつきになるはず。
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繭の中 [diary]

住んでいるマンションが今年は大改修。
そのため建物の回りには足場が組まれ、一棟ずつすっぽりと白い網のような布に包まれている。まるで繭の中に住んでいるみたい。
これは9月初めからで、今もそのままだ。もう10月半ばになってしまう・・!
この間ほとんど洗濯物は外に干せず。網戸をはずさなければならなかったので夜間も部屋は閉め切ったまま。開ければ蚊が入るし(最近はいなくなったようだが)、おまけに猫が足場を伝わってどこへでも行けてしまう。というわけで、家を閉め切って繭の中に包まれているような状態が、もう1ヶ月半続いている。これはかなりひどいストレス。
風が通り抜けないからいつも空気がよどんでいる感じがする。9月は一日中エアコンをつけっぱなしでいなければばらなかった。人は日中出かけても猫が家の中に閉じこめられて熱中症になってしまうから・・。

家の中に閉じこもっていると、晴れているのか、曇っているのか、雨が降っているのかも定かではない。ザワザワいう音が聞こえるのでそっとカーテン越しに外を見ると、ベランダの窓もビニールにおおわれ、そのビニールが風にゆれて音を立てているのだった。一番ひどい騒音時は他所へ避難した。どうしてこんなひどい音を出しているのかと思ったら階段のコンクリートを削ってはがしている音だった。家の前の工事だけがうるさいのではなく近場のすべての工事が大音響で聞こえるのにはまいってしまった。猫は音には敏感だがこのときもやはり黙って耐えていた。

一週間前から風邪をひいてこの繭のような家の中で寝ていた。太陽の光が蚊帳のような工事用天幕でさえぎられているせいか、建物全体がすっかり冷え切っているようだ。
部屋の中には毎日たくさんの洗濯物・・・。ベランダで作業をしている人の話し声がまるで耳元で聞こえるようでドキッとしてしまう。足場を歩く足音や、何かがぶつかるカラーン、カラーン、という音。大騒音はもう終わっていたのがまだ救いだった。あの大音響の中ではとても寝ていられない。入院でもしないと無理な気がした。
いずれにせよ、こんな中で熱を出して寝ているのは最低だった。風邪がなかなか直らないのも陽がささないせいか、と思った。

熱がようやく下がり、買い物に外に出たらキンモクセイの香りが一面にただよっていた。きらいな臭いではないけれど、これはいくら何でも強烈すぎる。熱で弱った身体のせいか、むせるようなキンモクセイの臭いに少し吐き気がした。こんなに強烈だったっけ・・?

お隣さんに会ったので「工事うっとおしいですね。」と話しかけると「私もう本当に耐えられない!」という返事が返ってきた。みんな耐えているのだ。小さな子や病気の人やお年寄りはさぞつらいことだろう。雨が降って工事は長引くらしい。10月の終わりまでは続くらしい。
繭の中に暮らしていたら人格まで変わってしまいそう・・。
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夏の信州 [diary]

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お盆に信州に帰省しました。なんでこんな混雑する時にわざわざ帰らなくてはいけないのかと毎年思っているのですが、年を取った母や親戚が待ちわびていると思うと、混雑を覚悟で帰らざるを得ない気持ちになります。もう強迫観念みたいなものです。
お盆を海外で過ごしたり、外国に住んでいる人などの話を聞くと、その人はしがらみとか気にかけなければならない身内や親戚縁者とかがいないのかなー、とうらやましくなります。
しがらみが何にもなくなったらどんなに自由にのびのびできるだろう、と思いますが、そうなったら淋しくもなるのでしょうか。

ともかくこの決まり切った風習はかなり苦痛でもあります。アメリカの友人が「クリスマスはほんとう言うとうんざりなの。女性にとってはすごく忙しい行事で、母も私もクリスマスは嫌いなの。」と内緒話でもするように打ち明けたことがありますが、この家族的行事というもの、やはりうっとうしい部分は世界共通しているのかも知れません。遠く離れた家族に会いに行くのはうれしいことですが、日本全国時期が同じというのがいけない。
お盆にそれぞれの家族が大挙して行楽地に出向く様を、学生の頃、なぜかとても醜いと感じたものでした。さすがに今は大人になったので我慢強くもなり、そんなことで目くじらを立てたりはしなくなりましたが。

さて今年の異常な暑さにはすっかり体調を狂わしてしまいましたが、信州はやはり朝晩の涼しさがあり、エアコンを使わずにも生活できる場でした。信州と言ってもいろいろですが、私の故郷は北信で、この辺りの山に行けばぐっと涼しくなります。空気がきれいだし、空も雲も美しい。
夏は涼しい場所でじっとしているのが一番です。今の日本のような気候だと、北欧並とは言いませんが、少なくとも、2,3週間の夏休みは健康の上からも必要ではないでしょうか。。

タイの人と話していたとき、「タイもこの位暑いのでしょう?」と聞いたら「同じけどタイは風があるから・・。それに夜は涼しい。日本は夜も暑いでしょ。」と言われて、ああ日本は熱帯なのだな、という思いを強くしたのでした。

IMGP5406.jpg野尻湖

野尻湖は古くからある別荘地で、観覧船に乗って湖に出るとビュービュー風が吹いて気持ちがいいです。モーターボートに乗るともっとスピード感を楽しめます。値段はちょっと高いなあ、と思うけど一年に一回だと思えばまあ仕方ないか・・。

戸隠の自然公園周辺では早朝あるいは夕方には野鳥をたくさん見ることができました。
ここには鏡池という湖があり、その名の通り後方の山々がくっきりと池に映り神秘的です。ここも人がいない夕方が最高です。ただし熊には用心しないと。

IMGP2636.jpg鏡池に映る山

戸隠に来たらソバを食べないと完結しません。それにしてもソバ屋さんの混んでいること・・。どこの店も順番待ちで、中でも一番有名な所は駐車場に入るための渋滞どころか、道の両脇にずらっと人が座って待っているのにはあきれました。
これは三昧ソバ。ふつうのたれ、ごまだれ、えごまのたれが付いていました。
IMGP5348.jpg三昧ソバ

志賀高原も相変わらずの美しさ。ここはスキー場で開発がどんどん進んでしまった高原で、それが残念ですが、志賀の山の奥行きの深さは開発にもまけずに美しさを保っていました。
高山植物が咲きみだれ、いろいろな場所で絶景を楽しむことができ、心が自由になりました。寒いほどの気温はさすが標高の高い山です。

IMGP5437.jpg後ろの山々がきれい
IMGP5449.jpgお花畑
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山々の景色を間近に見、みどりや花に囲まれていると確実に精神が元気になっていくのがわかります。
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酷暑の夏の始まり [diary]

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(涼しいところメッケた〜!)

体力がない私の身体は暑さにも寒さにも弱く、
この数日間の暑さでもはや絶望的な気分になってしまっている。
30度を超えるとすぐに頭痛が始まり、めまいがして何もできなくなるから、
これからの酷暑の日々を思うと気が滅入る。
この暑さ、7月半ばから9月半ばまでの2ヶ月間もある。

花粉症もひどく、これは2月終わりから5月始めまで。この期間は2ヶ月半。
最近カヤ科植物のアレルギーも出てきて6月もちょっと症状が出た。

そして今思うと寒さの方がましのような気がしているけど、冷え性の身体には冬の寒さも本当に大きなストレスになるのだ。これが1月、2月と同じく2ヶ月間ある。

となると1年の6ヶ月半も何らかの体調不良状態ということになる。
春は花粉の飛ばない場所・・たとえば沖縄。夏は酷暑を避け涼しい場所、冬は温暖な気候の場所で過ごす・・・これ、夢です。
去年の夏、ロンドンで会ったインド人の家族を思い出す。インドはとっても暑いので一ヶ月ほどロンドンで過ごすのだと言っていた。
「日本も暑いですよ。35度から40度まで気温が上がる日が続くのです。」と言うと「インドは40度から50度です。」
「日本はおまけにものすごく蒸し暑いのです。」「インドもものすごく蒸し暑いんですよ。」考えたらインドに暑さでかなうわけはなかった。

家に閉じこもってエアコンをつけて、水分をたっぷり取るようにしても、熱中症状になるのだからまいっています。

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(お尻をシツレイ! 水は水道から飲むのが一番・・。  可愛い写真も。)

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(おぎょうぎの悪い子ね〜・・フン。)

暑さも、猫は文句を言わず不機嫌にもならず受け入れています。見上げたものです。
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乗馬日記〜馬に貢いでいます〜 [diary]

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最近はひたすら馬のことを考え、馬に時間とお金を貢いでいます。
誰かが「私、家の食費を削って馬にみついでいるわ。」と言っていましたが、「あ、同じだなあ・・。」と思って少し安心しました。

今は初心者馬場というレッスンで、初心者複合レッスンよりもさらに「何でも自分でやれること」が要求されます。
もうインストラクターと生徒がホール集合して馬舎に向かうわけではなく、30分前に自分の乗る馬を確認、一人で鞍を出し馬を引いてきて馬装し、出発の用意をして先生を待ちます。毎回緊張します。

馬房から馬を出そうとすると、けっこう「出勤拒否」する馬がいて、行くとわざと(?)えさを食べ始めたりして、どうしよう??という気分にさせられます。
それでもなんとか頭絡をつけ連れ出そうとすると、「絶対に動かないぞ!」という態度です。手綱を両手でけんめいに引っ張っても相手は4、500キロ。引っ張り合いで勝てるものではありません。
こういうときに限って、馬舎の中はしーんと静まりかえり、誰もいない。
やっと係員の姿を見つけ「あの、馬が動かないんです・・。」と来てもらうと、その姿見ただけで馬はそ知らぬ顔して歩き始めたりして、面目ない気持ちにさせられるのです。

この間、あきらめて「もういいよ。勝手にしな。」と戸を閉めて歩き出したら、馬があわてたような顔をしたので、すいっ、と引き出せたこともありました。
馬はけっこう複雑なこと考えていて、人間ともいろいろなやり取りをしているんだな〜と思います。

同じサラブレッドでも小柄なも、巨大なものがいるし、性格も半分眠っているようなおとなしい馬から、やんちゃでやたら動き回ったり興奮したりする馬がいます。
馬が蹴るというのはすごく迫力があって、洗い場の囲い馬で、隣の馬が急接近したため怒った馬が後ろ足でカーンカーンと柵を蹴る姿を見たときは、あれで蹴られたらノックアウトだな・・と思いました。柵の部分に正確にひずめをぶつけているのだから、めくらめっぽう蹴っているのではなく、後ろ足であっても、どこを蹴るかちゃんと狙いを定めているのです。馬の目は350度見えるそうです。

前に出ようと暴れる馬を押し返したりなだめたりするとき、馬ってすごいなあと感じるのです。
で、この巨大な馬がぺろぺろ手を舐めてきたりするととってもかわいいのです。

初級までの道のりはまだまだはるか先です。速歩(はやあし)はできるようになったけど、駆け足はこれから。(速歩は2拍子、駆け足は3拍子)駆け足ができるようになることが目下の目標です。

今まで何気なく見ていたけど、時代劇などで馬が走るシーン・・あれは、乗馬が上手でないとできません。
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名人道具を選ばず [diary]

IMGP4995.jpgガリバーの勇姿
「弘法筆を選ばず」とはよく言ったもので、このことわざ、「名人楽器を選ばず」「名人馬を選ばず」など、いろいろピッタリあてはまってしまいます。
その逆は「下手の道具調べ」というそうで、これも、なるほどね、と思い当たります。
フルーティストの斉藤和志さんは、頭部管が24金のフルートを持っていて、これがすごい音を出します。
ところが斉藤さん曰わく、以前吹いていた銀の楽器を吹いても、オーケストラ(東フィル)の仲間には絶対にわからないそうです。もう身体が自然に金の音を出してまう、ということでしょうか。金と銀では明らかに楽器の音色も馬力も異なりますが、金を吹いていると、他のもっと安い楽器でも金と同様の音が出るようになるらしいです。N響の神田さんは木管フルートですが、N郷アワーで「他の銀や金のフルートの音色との違いは、ほとんど無いと思います。好みの問題ですね。聞いて区別するのは僕にもできないでしょう。」と語っていました。

では、どんな楽器を使って練習しても同じかというと、そうではなく、名器を使いこなすことによって、他の楽器も思うように使いこなせるものなようです。
「名人楽器を選ばず」になるためには、まず「名人」になる必要があり、それには良い楽器を用いて良い環境で、ひたすら練習するということが大事なようです。
そのためには「下手の道具調べ」という時期も経なければならないのは避けられない、ということですね。で、結局「名人」の素質を持った人が「名器」と巡り会い、大方の人は「道具調べ」で終わるということか・・。

写真は「名人馬を選ばず」の例。この馬はいつもボンヤリ眠っているような馬で、動かすためにはムチを見せたり蹴ったりと大変な馬なのですが、「模範演技」として現れたときは、見違えるようなバリッとした姿。同じ馬・・?と思ったのでした。みんなの前で演技をするのがうれしいらしく(インストラクターの言葉によると目立ちたがり屋なのだそうです)、広い馬場を格好良く駆けめぐり、バーを軽々と何度も飛び越し、胸をはって写真に収まったのでした。
私らビギナーは普段は完全になめられているんだな、と感じた次第。
「今日の乗り手は下手だな。ま、あんまり働かなくてもいいや。」位は思っているのでしょう。
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乗馬日記〜メリーゴーランドのように〜 [diary]

馬の可愛さって、馬に触れあった経験がない人には、ちょっと伝えようがないものがある。あの大きさには、犬や猫とは全く別の存在感がある。

いつまでたっても馬装の苦手な私だが、たまにインストラクターから「○○(馬の名前)はこちらでやります。」と言われることがある。こういう時は作業はやらずに楽な気がするけど、実はその馬はちょっとくせ者、という意味で、乗っているときの馬のコントロールはむずかしい、ということだ。
馬房に知らない人間が入るのを嫌がったり、触られるのを嫌がる、気難しい馬なのである。

レッスンの始まりは、まず馬をゆっくり歩かせて、馬上体操というのをやる。馬の背で腕を回したり、前屈、後屈運動などをするが、これは人と馬がリラックスするためだそうだ。
レッスンは6〜8名で円形の馬場を歩いたりゆっくり走ったりする。この人数がスムーズに動くのはけっこう難しい。乗る人の技量も少しずつちがい、何より馬の個性がちがう。のんびりしてあまり動かない馬と、走り出したがる馬がいる。前がつかえていては走れないから、おそい馬に乗ったときは、何とか走らせようと馬のお腹を蹴ったり、時にはムチを使ったり・・ハードな運動になる。
逆に速すぎる馬は、前の馬に近づきすぎ危険になる。馬は前がおそいとイライラして攻撃的になるのでブレーキのかけ方がむずかしい。

5〜6頭のときはいいけど、10頭というときがあった。平均して前後の馬との距離は一馬身半といったところ。真ん中でインストラクターの方がおそい馬を励まし、速い馬に気配りをしながら指示を出しているのだが、これがいっせいに動くというのはすごいことだ。うまくいくと一周ぐらい止まらずに走れたりする。まるでメリーゴーランドのように回り出したときは、思わず拍手したくなる。

人の気持ちは馬には敏感に伝わり、びくびくしていると馬は人を馬鹿にする。うまく乗れないで困っている人に、インストラクターから「スマイル!もっとにこやかに笑って。」と声が飛ぶ。「人間が落ち込んでしまうと馬もやる気をなくしますよ。」と言われる。馬の扱いは人間の子供を育てるのに似ている。

レッスンが終わって馬を降り、「ご苦労様」と首筋をたたいてやる。一時間のレッスン後は馬もこちらを認めてくれ、初めは気難しかった馬も、顔を触っても嫌がらない。馬の首に腕を回して頬ずりをしていると、この時間よ止まれ、という幸せな気分になってくる。
あんまりうっとりしていると、馬もポワーンとしてしまうようで、連れて帰ろうとしても歩き出さないことがある。馬は立ったまま眠ることができるのだ。
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若葉の季節 [diary]

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桜が終わって寂しくなるかと思ったら、そうではありませんでした。
桜の花が散るのを待っていたかのように、木々がいっせいに若芽を出し始め、そのやわらかな黄緑色には心がなごみます。その黄緑色に遅咲きのしだれ桜などの薄桃色が良く映え、地面の花々も一斉に咲きこぼれ、「ああ、いい季節だな・・」としみじみ感じます。
自然界の美の前には頭の働きも鈍り、読書にも身は入らず、ただぼーっと時を過ごしてしまうのも、春ならではのことでしょう。
こんな風に自然の素晴らしさに陶然とできるのも、時間の余裕があるからで、仕事に追われていたらその味わいも半分ぐらいに減るのかもしれません。

青空のもとで見る風景はもちろんすばらしいけど、雨の日や曇りの日でも、若芽の薄緑色と桜の白色、薄桃色は、非常な美しさです。

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安行は「植木の里」で世界でも有名な所だったのが、どんどん宅地や駐車場が広がり、今では見るかげもない、と日頃感じているのですが、さすがにこの季節は、道路沿いであっても、やはり安行の植物の素晴らしさを実感しました。
(安行植物園付近で)
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馬の話(続き) [diary]

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写真はロンドン、バッキンガム宮殿の近くで見かけた女性騎馬警官。
写真を撮っても素知らぬ顔で超然と美しく走り去って行きました。

乗馬を始めて良かった、と思うことは、ふだん使わない脚の内側の筋肉や、背筋、腹筋を使い、姿勢が良くなること。運動が大嫌いな私も、馬大好きなので乗馬に通うのが苦にならず楽しみなのです。
家でこれ以上できないほどだらしない格好をしているのが好きなのに、乗馬では180度違うことを要求されます。背筋をバレーリーナぐらいにビシッと伸ばしていなければならない。その良い姿勢を保って乗り続けるというのは私にとってはかなり難儀なことです。
乗馬スクールの馬術はアメリカン(カウボーイなどの乗り方)ではなく、ブリティッシュ・スタイルだそうです。(もちろん競馬の騎手の乗り方とは全然ちがいます。)
ロンドンの騎馬警官でわかるようにとにかく美しいスタイルが目標です。インストラクターの方は馬に乗っていないときでも、皆、背筋がピンとしているのも鍛錬しているからでしょう。

「乗馬中は下を向かないように。」と注意されます。良い姿勢をちょっとでも崩してはダメなのですが、下を向くのは怖いからではなく、自分が乗った馬の走る姿を見たいからです。
はじめて、常歩から速歩に変えとき(馬が走り出したとき)、自分を乗せた馬が、首を上下に降るようにし脚が高く上がり始め、揺れが大きく伝わってきたときは、とても感動しました。
人間を乗せてこんな風に走ってくれる動物がいるなんてとても不思議に思えます。馬は本当に愛らしく美しい生き物だ、と感じます。
さて馬の取り扱いには毎回こまごまと注意を受けますが、動物好きなので、注意も話半分に聞いていたら、実際に落馬しそうになりました。後ろを走っていた馬が噛みついたために、後ろ足を蹴り上げさらに前足をあげて立ち上がったため、私は後方にのけぞり真逆さまに落馬しそうになりました。その瞬間の長かったこと。逆さになって、これは頭から落ちるのかな、手綱をしっかり持たなきゃ、といろいろ考えたような気がするけど、実際は1,2秒のことでしょう。幸いインストラクターの補助があったので落馬はしませんでしたが。
手綱は両手でしっかり持っていてください、と言われたのは、こういうときのためだったのか・・。
後ろから咬まれるなんて乗っている方には全く不意打ちなので、避けようはなく、要するに常に神経をゆるめないでいるしかない、ことがわかりました。

落馬は何度もしたことがある、とベテランの人からも話を聞きますが、どんなことでも練習すればするほど、奥が深く、どんどん難しさは増していくようです。
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